鴎外選集 第十五巻

十三時



 オランダのスピイスブルク市が世界第一の立派な都会だと云ふことは、誰でも知つてゐる。併しもう遺憾ながら、世界第一の立派な都会だつたと云はなくてはならなくなつた。
 あの市は本街道を離れて、謂(い)はば非常な所にあるのだから、読者諸君のうちであそこへ往つたことのある人は少からう。あそこを知らない人に、あの特色のある所を想像させるために、少し精(くは)しく土地の事を話すことは無益ではあるまい。己はこなひだあの土地にあつた重大な災難の話をして、あそこの市民に対する同情を広く喚起したいと思つてゐるのだから、その話の前置として己の説明は一層役に立つ筈である。さて己の目的としてゐるその災難の事だが、その話をすると云ふ責任を己が負ふ以上は、必ず力の限を尽してそれを果たすだらうと云ふこと、正しい古文書を比較して、自己の良心を満足させるやうに細密に事実を考へて、苟(いやしく)も歴史家たる身分に負(そむ)かないやうに、公平無私にその話をするだらうと云ふことには、恐らくは誰一人疑を挾(さしはさ)むものはあるまい。
 己は金石文字や古文書を精しく調べて、先づあのスピイスブルク市が始て興つた時、矢張現今の地点を占めてゐたもので、それから後少しも移動したものでないと云ふことを確言することが出来る。併しその創立がいつの事であつたかと云ふことは、己も遺憾ながら或る不定の断案を以て答へるより外無い。兎に角非常に遠隔した時代の事だから、我々が溯つて計算し得る時代の最大距離に於いて、あの市は創立せられたのだと丈は己が明言しても好からう。
 そこでスピイスブルクと云ふ地名の起原だが、これも矢張遺憾ながら十分に説明することが出来ない。臆説は種々に立てられてゐる。中にはいかにも巧妙で、緻密で、博識の言(こと)らしいのがある。中には又それの反対だと思はれるのもある。併しその中でどれ一つ十分の根拠を有してゐると認めて好いものは無い。已むことなくんば、一説を挙げよう。それはドイツの学者リンド氏の説で、イギリスの学者ビイフ氏の説も略(ほゞ)それと一致してゐる。それはかうである。スピイスは槍である。ブルクは城である。あの市で城らしい建物と云つては、議事堂が一棟しか無いが、その議事堂の塔に或る時雷が落ちた。その落ち工合が丁度上から槍で衝いたやうであつたことを思ふと、此語源説が愈(いよ/\)尤(もつとも)らしく聞えて来る。併しこんな重大な問題にうかと断案を下して、跡で恥を掻きたくもないから、己はなんとも言はずに置かう。読者が若し此問題を深く研究しようと思ふなら、有名なオランダの大学教授ホオルコツプ氏のオラチウンクレエ・デ・レエブス・プレテリチスと云ふ本を見るが好からう。それから今一つ参考して好い本は、フアン・デル・ドムヘエト氏のデ・デレワチオニブスの二十七ペエジから五千零十ペエジ迄である。此本は大判の紙にゴチツクで印刷してあつて、骨子になつてゐる語には朱と墨とで標(しるし)がしてある。丁附は無い。此本にはフアン・デル・ドムヘエト氏の高足弟子として聞えた支那の民間学者シユツンプジン氏の自筆の書入があるから、それも参考するが好い。又註脚に大学助教授ドヨオジヒ氏の言つてゐることは一顧に値する。
 創立の時代も地名の起原も、こんなに不確実ではあるが、兎に角スピイスブルクは昔出来た日から今目撃する状況と少しも変つてゐなかつたと云ふことは明白である。市の故老に聞いて見ると、何一つ変つたと思ふことは無いさうだ。実際若しや変つた所がありはせぬかと云ふ問題でからが、それを口に出したら、あの土地の人は侮辱せられたやうに感ずるだらう。
 市は正円形をなした谷の中央に位してゐる。谷の周囲は一哩(マイル)の四分の一位である。四方には景色の好い丘陵がある。市に住んでゐる人に、誰一人敢て丘陵の巓(いたゞき)に登つたものが無い。さう云ふ堅固な土着的観念が何に本づいてゐるかと云ふと、実に尤千万な理由がある。丘陵より先きに何物かが有るだらうと云ふことは、到底信ぜられないからだと云ふのである。
 谷は総て平坦で、全面に平たい瓦が敷き詰めてある。此平地の外囲に円形をなして六十軒の家が立ててある。それだから家は皆丘陵を負うて、平地の中央に臨んでゐる。その中央の地点までの距離は、どの家の戸口から測つても六十呎(フイイト)ある。どの家の前にも円形に道を附けた、小い菜園がある。そこに円い日時計が据ゑ附けてある。そして円いキヤベツが二十四本植ゑてある。家と家とは飽く迄似てゐて、何一つ相違してゐる点が無い。建築の様式は少し異様だが、併し画の様な面白みがある。堅く焼いた、小さい、赤い煉瓦の縁(へり)の黒いので建ててあるから、壁が丁度大きな象棋盤(しやうぎばん)のやうに見える。家の正面には搏風(はぶ)がある。屋根と表口の上とに、簷(のき)と庇とが出てゐるが、その広さが丁度家全体の広さ程ある。小さい、奥深い窓が細い格子で為切(しき)つてあつて、中には締め切つてあるのも見える。屋根に葺いてある瓦には長い、反(は)ね返(かへ)つた耳が出てゐる。家に使つてある材木は皆暗い色をしてゐて、それに一様な彫刻がしてある。それは古来スピイスブルクの彫刻師が、時計とキヤベツとの二つしか彫刻しないからである。併しその二つは上手に彫る。どこでも材木の面が明いてゐれば、すぐにそこへ彫り附ける。
 家は外面が似てゐる様に、内部も似てゐる。道具は皆同じ雛形に依つて拵へたものである。床は四角な煉瓦を敷き詰めてある。卓や椅子は黒ずんだ木で拵へて、捩(よぢ)れた脚の下の方が細くしてある。壁に塗り籠めた大きい、丈の高い炉には時計とキヤベツとが彫つてある。炉の上の棚には、真ん中に本当の時計が一つ据ゑてあつて、それが断えず感心な好い音をさせてゐる。棚の両端には植木鉢が一つ宛置いてあつて、それにはキヤベツが生えてゐる。それからその時計と植木鉢との間には、きつと支那人の人形が一つ宛(づゝ)立つてゐる。ふくらんだ腹の真ん中に穴があつて、それを覗いて見ると、中には懐中時計の表面が見えてゐる。炉の火床は幅が広くて深い。それに恐ろしい五徳のやうな物が据ゑてある。そしてその上に壁に切り込んだ龕(がん)のやうな所から大きな鍋が吊り下げてあつて、中には一ぱい麦酒樽漬(ビイルだるづけ)にしたキヤベツと豚の肉とが入れてある。
 鍋にはお神さんが気を附けてゐる。お神さんは頬の赤い、目の青いをばさんで、あのカンヂスと云ふ白砂糖の包紙のやうな円錐形の大帽子を被つてゐる。帽子からは紫と黄色とに染めた紐が下がつてゐる。着物は橙(だい/\)のやうに黄いろい色の毛織で、背後(うしろ)がふくらんで丈が詰まつてゐる。全体此着物はひどく短い。脚の中程までしか届かない。脚は円つこい。踝(くるぶし)も同断である。その脚には綺麗な草色の沓足袋(くつたび)を穿いてゐる。沓は桃色の鞣革(なめしがは)で、それが黄いろい紐で締めてある。その締めた結玉がキヤベツの形になつてゐる。お神さんは左の手に小さい、重みのある懐中時計を持つて、右の手には大きい杓子を持つてゐる。その杓子で鍋の中のキヤベツと豚の肉とを掻き廻すのである。お神さんの傍には斑(まだら)の猫の太つたのがゐる。その尻つぽには子供がいたづらに金めつきの懐中時計を括り付けたので、猫はそれを引き摩つてゐる。
 子供が今例にして話してゐる家には三人ゐる。それが三人とも前の菜園で豚の番をしてゐる。三人とも丈は二呎で頭に三角帽子を被つてゐる。赤いチヨツキが太股の辺まで垂れてゐる。ずぼんは膝切りで、ブツクスキンと云ふ毛織で拵へてある。沓足袋は赤い毛糸で編んである。重さうな沓には大きい銀の金物が付いてゐる。上着は長くて、それに大きい貝殻ぼたんが付けてある。皆煙管を口に銜へて、右の手には胴を円くふくらませた懐中時計を持つてゐる。口から煙を吹いては時計を見、時計を見ては煙を吹く。それをいつまでも繰り返してゐるのである。豚は皆ひどく太つてゐて、不精である。キヤベツの葉の枯れて落ちたのを拾つて食つてゐる。矢張猫と同じやうに尻つぽには懐中時計が括り付けてあるので、折々後足でそれを蹴ることがある。
 家の戸口の右の方には、倚り掛かりの高い腕附の椅子がある。鞣革で張つた椅子で、脚は卓(つくゑ)と同じやうに捩れて下の方が細くなつてゐる。その椅子に腰を掛けてゐるのが主人である。頬つぺたの非常にふくらんだ爺いさんで、目は真ん円で、大きい腮(あご)が二重(ふたへ)になつてゐる。着物は子供のと全く同じ事だから、改めて説明しなくても好からう。只爺いさんの子供と違ふ所は、口に銜へてゐる煙管が少し大きいから、口から煙を余計に吹き出すことが出来る丈である。爺いさんも矢張懐中時計を持つてゐるが、それを隠しに入れてゐる丈が違つてゐる。これは別に大切な用事があるので、時計ばかり見てはゐられないのである。その用事がなんだと云ふことは直ぐに説明するから、待つてゐて貰ひたい。爺いさんはぢつとして据わつて、左の膝の上に右の膝を載せてゐる。そして真面目な顔をして、少くも片々(かた/\)の目で虚空の或る一点を睨んでゐる。その一点は議事堂の塔の上である。
 議事堂には市の評議員達がゐる。皆円く太つた、賢い小男達で、車輪のやうな目をして、大きい二重の腮を持つてゐる。上着は並の市民の着てゐるのより長い。沓の金物も市民のより太い。己がこの市に来て住むことになつてから、評議員達は二度特別会議を開いて、左の重大な決議をした。
 第一条。何事に依らず古来定まりたる事を変更すべからず。
 第二条。本市以外には一切取るに足る事なしと認む。
 第三条。市民は先祖伝来の時計及キヤベツを忘却すべからず。
 議事堂の会議室の上が塔になつてゐる。塔の中には市の創立以来大時計が据ゑ付けてある。これが市の誇りで、同時に市の奇蹟である。家の戸口に据わつてゐる爺いさんの睨んでゐるのはこの時計である。
 塔は七角に出来てゐる。大時計も矢張七角になつてゐる。どの面にも針があつて、どこからでも時が見られるやうにしてある。太い、黒い針が広い白い板の面の上にある。市の評議員達は塔の番人を一人雇つて、大時計の番をさせてゐる。番人はその外にはなんの用事もない。だから市には色々の名誉職があるが、大時計の番人程結構な役人はゐない。用事は時計の番をする丈で、しかもその時計は丸で手が掛からない。市の記録に残つてゐる程の時代をどこまで溯つて見ても、大時計が時間を誤つたことはない。それが若しや時間を誤ることがあらうかなんぞと云ふことは、只それを思つたばかりでも怪(け)しからん次第だと、たつたこなひだまで市民一同が信じてゐた。
 大時計と同じ事で、市中にある丈の置時計や懐中時計も決して時間を誤ることはない。世界中どこを尋ねても、このスピイスブルク程誰でも時間を好く知つてゐる所はない。大時計が、「正午だ」と云ふと、市民一同口を開けて、谺響(こだま)のやうに「正午だ」と答へる。要するに市民は麦酒樽漬のキヤベツが好なことは無論であるが、彼等の大時計に対する自慢は又格別である。
 一体名誉職を持つてゐる人は、誰だつて尊敬せられるに極まつてゐる。だから一番結構な名誉職を持つてゐる大時計の番人が尊敬せられることは論を待たない。番人は市の大役人である。菜園に飼つてある豚でさへ、此人を見るには目を側(そばだ)てて見る。番人の上着の裾は誰のよりも余程長い。煙管も、沓の金物も、目玉も誰のよりも大きい。腹は誰のよりもふくらんでゐる。そこで腮はどうかと云ふと、外の人のは二重(ふたへ)だが、此人のは立派に三重(みへ)になつてゐる。
 こゝまで己はスピイスブルク市の幸福な状態を話した。こんな結構な、泰平無事な都会に非常な災難が出来ようとは、実に誰も予期してゐなかつたのである。
 余程前から市民中の有識者達が、諺のやうにかう云ふ事を言つてゐた。「岡の外からはろくな物は来(く)まい」と云ふのである。不思議にもこの詞が讖(しん)をなした。
 丁度一昨日(をとつひ)の事であつた。正午前五分間と云ふ時、東の丘陵の巓に妙な物が見えた。いつにない出来事なので、どの家の腕附の椅子に掛けてゐる爺いさんも、胸に動悸をさせながら、片々の目でその妙な物を見てゐた。片々の目は矢張塔の大時計を見てゐるのである。
 正午前三分間だと云ふ時、丘陵の上に見えてゐた妙な物が、小男で、多分他所者(たしよもの)だらうと云ふことが分かつた。その男は急いで丘陵を降りて来る。姿が次第に好く見える。古来スピイスブルク市で見たことのない、馬鹿げた風体(ふうてい)の男である。顔の色は煙草のやうに黄いろい。鉤のやうな形の大きい鼻をしてゐる。目玉は黄いろい大豌豆のやうである。広い口の中で綺麗な歯が光つてゐる。それを人に見せたがるものと見えて、いつも口を耳まで開けて笑つてゐる。その外は八字髭と頬髯とが見えるだけである。帽子を被らない頭の髪は丁寧にちぢらせてある。体にぴつたり着いた黒服には、長い燕(つばくら)の尾のやうな裾が付いてゐる。一方の隠しから大きな、白いハンケチが出掛かつてゐる。ずぼんは黒のカシミアである。沓足袋も黒い。足に穿いてゐるのは長靴と舞踏沓との間(あひ)の子のやうな物で、それに黒い絹糸の大きな流蘇(ふさ)が下がつてゐる。片々にはシヤポオ・クラツクを腋挾(わきばさ)んで、片々には自分の丈の五倍もあるヰオリンを抱いてゐる。そして右の手に金の嗅煙草入を持つて、妙な身振をして丘陵を駆け降りながら、得意げな様子で嗅煙草を鼻に詰め込んでゐる。いやはや。スピイスブルク市の良民の為めには、実に途方もない見物である。
 好く見れば、此男は笑つてはゐるが、どうもその面附きが根性の悪い乱暴者らしく見える。それに市の方へ向いて駆けて来る足に穿いてゐる変な沓が、誰の目にも第一に怪しく見えるのである。それにあの黒服の隠しから出掛かつてゐる白いハンケチの背後(うしろ)には何が隠してあるか、見たいものだと思つた人も大ぶある。兎に角此男が怪しい曲者だと云ふことは、フアンダンゴやピルエツトの踊の足取をして、丘陵を降りて来るのに、一向間拍子(まびやうし)と云ふものを構はないのを見たばかりでも察せられる。
 そのうち正午前三十秒程になつた。市民等が目を大きく開いて見ようとする隙(ひま)もなく、外道奴(げだうめ)は市民等の間を通り抜けて、脚ではシヤツセエをしたり、バランセエをしたり、ピルエツトをしたり、パア・ド・ゼフイイルをしたりして、羽が生えて飛ぶやうに、議事堂の塔の上に駆け登つた。大時計の傍には番人が驚き呆れながら矢張息張(いば)つて、ゆつくりと煙草を喫んでゐた。外道奴は番人の鼻を撮んで、右左にゆすぶつて、前へ引つ張つて、それから腋挾んでゐた大きなシヤポオ・クラツクを番人の頭に被せた。そしてそれをずつと下へ引くと、番人の目も口もすつぽり隠れてしまつた。それから大きなヰオリンを振り上げて番人を打(ぶ)つわ、打つわ。胴の空虚なヰオリンで、太つた番人をぽかぽか打つので、丁度議事堂の塔の上で鼓手が一箇聯隊位太鼓を叩き立ててゐるかと思ふやうである。
 こんな怪しからん事をせられて、スピイスブルクの市民等が復讐をせずに見てゐる筈はないが、兎に角正午までにもう半秒時間しかないと云ふ重大な事件があるから、その外の事は考へられない。今に大時計が打たなくてはならない。それが打つ以上は、スピイスブルクの市民の為めには、てんでに懐中時計を出して時間を合せるより大切な事はない。驚いた事には、その職でもないのに、外道奴、丁度此時大時計をいぢくり始めた。併しもう大時計が打ち出すので、市民はその方に気を取られて外道奴が何をするやら、見てゐることが出来なかつた。
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。
 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。
「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。
「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
 これから後に起つたスピイスブルク市の恐ろしい出来事を筆で書かうと思つても、それは不可能である。兎に角市を挙げて大騒乱の渦中に陥つたと云ふより外はない。
 子供は異口同音に云つた。「おいらの時計はどうしたと云ふのだらう。おいらは一時間も前からお午が食べたくてならない。」
 お神さん達は云つた。「まあ、わたしの鍋はどうしたと云ふのだらう。もう一時間も前から豚もキヤベツも煮えくり返つてゐる。」
 爺いさん達は云つた。「己の煙管はどうしたと云ふのだらう。もう一時間も前に吸殻になつてゐなくちやならんのだ。」かう云つて爺いさん達は腹立たしげに煙管を詰め更へて、腕附の椅子に倚り掛かつて、忙がしげに煙を吹き出した。スピイスブルク市は忽ち煙草の煙に包まれて何も見えなくなつてしまつた。
 その時市の菜園に作つてあるキヤベツの頭が、皆腹を立てたやうに真つ赤になつた。それから矢張外道奴の所作と見えて、家々の道具に為込んである時計や置時計が魔法で踊らせるやうに踊り出した。炉の上の棚にある時計も腹が立つて溜まらないと云ふ様子で、十三時を繰り返し繰り返し打ちながら、下振(さげふ)りをめちやめちやに振り廻した。それから猫や豚が、尻つぽに括り付けてある時計の十三時を打つのが不都合だと心得たものか皆駆け出して、きいきい、にやあにやあ啼きながら、そこら中を引つ掻いて、何もかも蹴飛ばして、人の顔に飛び付いたり、着物の裾にこんがらかつたりした。なんともかとも云はれない大騒乱である。
 それに塔の上にゐるいたづら者奴は却つてわざと此騒乱を大きくしようとしてゐるらしい。折々煙草の煙の隙間から仰向いて見ると、いたづら者は番人を仰向けに寝させて、その上に乗つて、大時計の上に吊つてある吊鐘の綱を口に銜へて、頭を右左に振りながら鐘を鳴らしてゐる。あの時の事を思ひ出すと、己は今でも耳が鳴る。いたづら者奴、鐘が鳴るばかりでは足りないと見えて、膝の上に大きなヰオリンを置いて、間拍子に構はず、「ねえ、テレザさん、降りてお出で」と云ふ歌の譜を弾いてゐる。
 己はこんな怪しからん事を黙つて見てゐるに忍びないので、早速スピイスブルク市を逃げ出した。そこで天下の麦酒樽漬のキヤベツの好な人達に檄を飛ばして援(すくひ)を求める。寄語す。天下の義士よ。決然起つて、隊を成してスピイスブルクに闖入して、市の秩序を恢復し、狂暴者を議事堂の塔の上より蹴落さうではありませんか。

※インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)より引用。
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