MARI D'ELLE

マリ・デル 第二章


「何探してるのよ?」と彼の妻はその騒ぎが我慢しきれなくなってとうとうどなった、「あんたのお蔭で目が覚めちまったわ。」
「僕あマッチを探してるんだよ。君あ……君あ、じゃ未だ睡っちゃいなかったんだね。よおし、そいじゃ君に伝言(ことずけ)があったぞ……宜しくって言いやがったっけが……ど忘れしたぞ……ほら、しょっちゅうお前に花束を届けて来る薬罐の先生さ……ザグヴォーズキンよ。……いま奴と一緒だったんだ。」
「あんな人の所へ何しに行ったの?」
「いや、別になんでもないさ……僕たちあこう仲よく坐って話しこんで、一杯やっただけさ。なあナタリイ、お前がなんと言おうと俺ああの男は大嫌いだぞ。断然嫌いだぞ。ありゃ稀にみる大馬鹿だ。奴あ金持の資本家だ。奴にあ六十万からあるんだ、――と言っただけじゃ、お前にあ分るまいな。奴の金と来た日にゃ犬ころに大根をやった程の役にも立たないんだ。つまり、自分でも食いやがらない癖に、他人にも遣らないんだ。金あ、こう循環しなくちあいけない。ところが奴ときたら確り握りこんでやがって、離すのをびくびくしてるんだ。……居眠りしてる資本が何になるもんか。居眠り資本は草の葉っぱも同然さ。」
 マリ・デルは暗闇のなかを手さぐりにベッドの端に辿りついて、ふうふう言いながら妻の足の所に坐った。
「それどころか、居眠り資本は害毒さ」と彼は続ける、「なぜロシヤじゃ事業が不振なのか知ってるかい。そりゃ居眠り資本がどっさりあるからさ。投資をびくびくしてやがるんだ。ところが、イギリスとなりゃあ、まるで訳が違わあ。……なあ、おい、イギリスにあザグヴォズキンみたいな変てこな奴あ一人だって居ないんだ……あすこじゃ一文の金だって循環してるんだぜ……そうとも……あすこじゃ銭函に錠を掛けとくような吝な野郎はいないんだ。……」
「さあ、もう沢山よ。私、睡いんだから。」
「もう直き、もう直き……なんの話をしてたっけなあ? ああ、そうだ……この世智辛え世の中によ、ザグヴォズキンみたいな野郎はぶらんこ往生だって勿体ないくらいさ。……奴あ頓痴気のうえに悪党だ……つまり頓痴気だ。……僕が奴に担保なしの借金を申込んだってそれがなんだ、――え、これほど確かな投資はないことくらいあ三つ児だって御承知だぞ。ところがあの驢馬め、厭だって抜かしやがる。一万出しゃあ十万になって返って来るんだ。一年たちゃあまた十万ほど転りこむんだ。僕あ頼むようにして話してやったんだぞ。……ところが奴あ出しやがらないんだ、大間抜め!」
「あんたは、まさか私からと言って借金を申込んだんじゃないでしょうね?」
「ふむ……妙な御質問だね……」とマリ・デルは機嫌を損ねた、「どっちみち、僕からって言った方が、お前からなんて言うよりゃ、奴にあ一万投げ出し易かろうぜ。お前はたかが女だ、ところが僕あこうみえても男一匹だ、しかも事業好きの男と来てる。僕あどんな目論見を奴に話してやったか分るかい? 泡沫(あぶく)でも空中楼閣でもないんだ、そりゃもう、ちゃんと確実極まる、その肝腎かなめって奴さ。解りのいい人間にぶつかってみろ、この目論見だけで二万は投げ出すだろうぜ。僕がお前に話してやるとすりゃあ、お前にだってその事は解らあ。ただお前が……饒舌(しゃべ)るんじゃないぞ……一言もだぞ……待てよ、お前にあもう話したような気がするぞ。腸詰の皮のことを話したっけかな?」
「まあ、……だんだん伺っていますわ。」

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