宮本百合子全集 第九巻

ロンドン一九二九年

 手提鞄の右肩に赤白の円い飛行会社のレベルがはられた。「航空ユニオン。27」廻転するプロペラーの速力を視覚に印象させるような配列法でこまかく、赤白、赤白。
[#ここから2段組み、横書き、底本では前後の文とは改行しない]
巴里。    ロンドン。   リオン。    マルセーユ。
9.オーブル通 ヘイマーケット パレス・ホテル 1.パーベル通
[#ここで2段組み終わり]
レベルは射的店の風車に似ている。
 四時間前、鞄は巴里の飛行会社で白エナメルの計重器の上にあった。いまそれはロンドンのただなかにある。ホテルの古風なセセッション式壁紙の根っこに置いてある。
 少しばかりの着物の束を押しつけてオリーブ色の手帳、大日本帝国外国旅券NO・084601が入っていた。あっちこっちで引くり返され端がささくれ始めた第七頁には携帯人の写真、第十五頁に英国旅券掛の紫スタンプが七シリング六ペンスの皇帝ジョージの横顔の上に押してあった。そして書いてある。三週間以内ノ英国滞留ヲ許可ス、と。
 手に赤い厚紙切符を握り日本女は乗合自動車(オムニバス)に乗っていた。乗合自動車(オムニバス)は二階だ。黄、赤、黒の英国式色調だ。辻々でヘルメットをかぶった六フィートの巡査の合図にしたがって止る。ある場所では長く待つ。「待って見ていよう」世界的に有名な一英国の標語(モットウ)に従って日本女はバスの窓からロンドン市を眺め渡した。
 ロンドンは八月の太陽の下に都市計画(タウンプランニング)のない大都市の街筋をひろげている。公園のまわりにはいろんなアーチがあった。公園の濃く茂った木と青草が並木道がわりだ。ボンド街やリジェント街でショー・ウィンドウの大ガラスは、磨かれたそのおもてに、続けざまに止ったり動いたりする乗合自動車(オムニバス)の姿をうつした。歩道を往来する女達の英国式かかとをも反映させた。イギリスの女靴はイギリス女の体がいやに細長いようにとんがって長い。それから時々ショー・ウィンドウ硝子板の世界的近代商業の輝きの隅に、純然たるイギリス風なあるものが現れた。それは頭に小さい王冠をのせた黄金の獅子と一匹の馬とが左右から一つの楯にしがみついている紋章である。これと同じものがバッキンガム宮殿の門扉の上にあった。リジェント街一〇〇番の洋服裁縫店のショー・ウィンドウにある。ある馬具屋の窓の上に、リプトン紅茶の小箱の上にある。「皇帝御用指定商(バイ アポイントメント トゥ ヒズ マジェスティー ザ キング)」リプトンはセイロン島の土人に茶を拵えさせながら、ヨーロッパのヨット界の親玉になっている。
 八月のロンドンの空気は乾燥している。毛織物を食う虫はこの空気中では湧かないのだそうだ。だが、かわいた空気はざらついた。そして喉の奥を引っかいた。そういう空気を押し破って下町から山の手に、山の手から下町へ陸続進む乗合自動車(オムニバス)の運転手はどれも若い、壮年だ。白っぽいうわっぱりを着て、プリンス・オヴ・ウェルスもそうであるように、一寸赫みがかった横顔で高いところへ坐っている。タクシー運転手も同様に白いうわっぱりを着ているが……だが何故こんな爺ばかりなのだろう。窓から見ていると、ロンドン市のすべてのタクシーは旧式に、すべての運転手は年寄に、と決議したようだ。八月の風邪を恐れるように幌をしめた箱馬車型タクシーが炎天下へやって来る乗合自動車(オムニバス)と並んで停る。うわっぱりのだぶついた胸へ番号札を下げた運転手はどこやらあおい瞳がすでにうるみかけた爺さんだ。また来る、止る。爺さんだ。爺さんの運転手は元気な乗合自動車(オムニバス)の巨大なずうたいに向って彼のエンジン付馬車をならべ、はからず、労働市場の淘汰見本を現出している。しかし彼ら自身はこれにたいして懐疑的でない。
 泰然として進化(エヴォリューション)を信じ、疑わないような群集をつっきり、日本女はある角で乗合自動車(オムニバス)を降りた。小さい飲食店に入った。
 色とりどりにふんだんな野菜がある。
 白レースを額の前につけ黒絹靴下できりっとした給仕女である。
 そしてタイル張の床の上でそういう給仕女もテーブルにむかって坐っている客達も一種特殊な技術でたくみに各自の声の限度を調節してやっている。
 ――何を上りますか?
 給仕女の声は自然であって自然でない。
 ――冷肉とサラドを貰いましょうか。
 それはミセス・XX《エッキスエッキス》の地声だ。が、生(き)ではない。――
 こういう話しっぷりそっくりな中流住宅がロンドン市いたるところで目についた。むずかしいことはない。三ペンス払って乗合自動車(オムニバス)に乗る。そしてさっき日本女がやっていたように窓へ顔を押っつけて過ぎ行く街筋を見ていると、やがて諸君の目前に現れるだろう。窓を五つばかり持つ小ぢんまりした二階建の正面が四五軒から八九軒立である。が、おのおの三尺の入口扉が独立についている。第一軒の入口に白い柱列(コラム)でもあればそれは三坪ほどの前栽に向って全建物が終るまでつらなっているであろう。そして小砂利か煉瓦でたたんだこみちが往来をくぎる垣根までつけられている。垣根は低い。前栽の金魚草・たちあおい・ゼラニウム・緑・赤毛糸ししゅうみたいな花壇とその奥の窓々に白いレース・カーテンをかいま見させるていどに開放的である。しかししんちゅうにぎりの入口扉と窓枠は往来に向って独特の静まりかたをしていて――つまり紹介状なしに人は入れぬ「英国の家庭(イングリッシュ ホーム)」を示威している。ソヴェト・ロシアの「住居」の観念とこれはまるで違う。また、ル・コルビュジエの「家」の観念とも違う。イギリスの多くの尊敬すべきMR《ミスター》・AND《アンド》・MRS《ミセス》にとっては或る種の日本人のように家すなわち国家細胞としての家庭で、彼らはどんないいことも悪いこともその中で考えたりやったりしているのだが、ただそのやり方が支那人のように叫喚的でも日本人のように神経的でもなく――そうだ! この話し振り通りの要領である。互に他人に聞かす分量と自分の内へしまっておく分量との区別を知りそれを常に間違えない技術的訓練でやっているのである。
 小指にはまった指環が暑い日光に光ってひっこんだ。日本女の前にレモンをそえたドーヴァ鰈(かれい)のフライが置かれた。
 ドーヴァ鰈のフライは、頭から食べてもしっぽから食べても、靴をぬいで食べないかぎり英国の徳義には触れぬ。魚は新鮮である。胃はからだ。片身がきれいにとれると美しい骨格が現れた。が、黄色鮮やかなレモンの皮に向ってひろげた魚族の骨の真中に、日本女は小さい小さい飛行機の機影が映っているように感じた。ドーヴァ海峡の海の水を霧の上空からみおろすと紫がかった灰色だった。海の面に毎日飛行機の影がとぶ。影は水をとおす。水の中を泳ぐ魚の体の上にもうつる。フォークをひかえて、日本女はしばらく近代魚類体中の飛行機をロンドンに於て生新に感覚し、それからそれを引っくりかえし愛情を感じつつ皆食べてしまった。

 穿鑿(せんさく)機の激しい音響は鼓膜をしびらし、暑い空気を白い炎のようにふるわした。
 ホワイト・チャペル通の右側は掘じくり返し積み上げたコンクリート道路工事の塹壕である。乗合自動車、貨物自動車、荷馬車。互に待ち合わせ強烈な爆音中で時間の感覚を失いながらのろのろ進行した。
 横丁にずらりと露店が出ている。バナナ、駄菓子、古着、ボタン紐、道路工事に面する大通のペーヴメントにはほこり、古新聞のほご、繩片、煙草の吸殼等が散っている。子供を片腕にかかえ、袋を下げた神さんが行く。白粉と紅との下から皮膚の垢を浮出させた十八ばかりの可憐に粗末な造花、安女店員がいそぎ足で通る。手のついたブリキ罐をぶら下げ格子木綿の服を着た男の子供が、格子木綿の女の子の服を着た弟の手を引っぱって行った。子供はどっちも帽子なしである。ポヤポヤした彼らの薄赫い髪の毛を八月の土曜日の太陽がすき透した。コーセット店のショー・ウィンドウが埃をかぶっている。山の手では見られない古風な紐じめ大コーセットが桃色である。
 気がぼっとする穿鑿機の爆音のうちへ、或はその中から、通行人は歩道へぎっしりだ。ひどいぼろ服に鳥打帽や古山高を後へずらしてかぶり、カラーなしの男たちがあっちに二三人、こっちに一塊り立って、ぼんやり働く人間の群の方を眺めている。英国の登録されたる失業者総数凡そ百二十六万人弱。
 選挙のとき労働党は民衆に約束した。「労働党はただちにそして実際的に失業問題に処すべき無条件誓約を与える」数年間にわたっての失業救済事業案が出た。幼年者補助養老扶助年限が繰下げられた。しかし同時に統計は示している。労働党治下の失業保険掛員は七月一杯だけで、保守党時代よりさらに多く、五千人の失業者にたいして補助をこばんだ、と。イギリス労働組合保険連盟は「本気で職業を求めていぬ」という微妙な心理的理由によって失業保護を拒絶する権利をもっている。同じ労働組合の協定によって鉄道従業員、木綿羊毛織工及炭坑夫は国家の工業をたすけるべく数パーセントの賃金切下げを決定された。従業員の賃金を2・1/2パーセント切下げているうちに、鉄道事務員組合書記エー・ジー・ワークデン氏のところでは年俸二百五十ポンドが年俸千ポンドに上昇しつつある。
 ――大通からコムマアシャル街へ入ると人通りもへった。穿鑿機の音響は遠く息苦しい空気のかなたにある。しばらく行く。右側に古風な軒燈が一つ。軒燈には黒字で「トインビー・ホール」。トインビー・ホールはオックスフォードおよびケムブリッジ大学卒業生によって経営される知らぬ者のない英国セットルメント事業の本山である。暗い円天井の壁門の内側に一枚の貧児夏期学校へ寄附募集のビラがはられている。ビラは古い。破れている門を抜けると内庭がある。つたの青々からんだ塀と建物が静かに内庭を囲んでいた。「貧民法律相談所」矢のしるしが建物の裏を示している。
 内庭にも受付にも人がいない。受付の横から狭い廊下があっちへ通っていて、箒を持った働き女の姿が見えた。日本女はその働き女を呼び止めた。長方形白封筒を渡した。暫くすると別なやや知的表情のある女がその奥の暗い方から出て来た。日本女と話して引込んだ。今度はその女自身が白封筒を手にもって戻って来た。
 ――今日は土曜日でもう誰もいないからおめにかけることが出来ません。月曜日にいらして下さいな。
 ――土曜日の午後は休みなのですか?
 ――そうです。すっかり休みます。
 なるほど! 銀行会社の休日にはセットルメント事業も休日だということは知らなかった。内庭に立って古色蒼然たる蔦を眺めていたらこれも歴史的な金網入りの窓の奥に真白いテーブル掛が見えた。そこで新聞を読みつつ午後の茶を飲んでいるところの一紳士の横顔が見えた。
 ――休みの土曜の午後か。ロンドンの困窮せる人はすでにこの習慣を知っているのだろう。だから勤めの休みな土曜日の午後はトインビー・ホールへ来ず、いつか別な日に勤めを休むか早びけかにして来るんだろう。しかし、その目でモスクワを見て来た日本女はロンドン人のように忍耐強くない。
 門を出ると往来に面した掲示板に、九月二十三日開始の成人教育プログラムがはり出されていた。経済、文学、歴史、英語、仏語、独語、劇、雄弁術、美術、音楽、民族舞踊、応急救護法。一科目料金五シリング。ここでは経済という字が中世風のゴシック書体で書いてあった。

 下半身にはズボンがある。上半身ははだかのところへじかにぼろ外套を引っかけた十四五の少年が角に立っている。並んで山高を頭にのせた中爺がいた。中爺は帽子を脱いでその中を見ながら片手でごしごし頭をかいた。帽子をまた頭へのせた。ペッ! 地面へつばした。そのとき半はだかの少年はのろのろ歩き出して傍の半分壊れた板がこいの横へ入った。崩れた煉瓦がごたごたかためてある。その中へ入って往来からは彼の姿が見えなくなった。

 通行人の六割はそこへ吸い込まれる。ホワイト・チャペル通へ出た角の六片店(シックスペンスストア)だ。二つの角に向って開く四つの扉は頻繁な人の出入につれて、大通りから穿鑿機の音響をピンの山の上、砂糖菓子の丘へあおりつけた。さじ、ナイフ、紅茶こし、化粧品類、手帳鉛筆その他文房具および装身具。その表紙では赤い寝室でピストルをもった男と寝衣姿の女が組打ちしているような小説本に至るまですべて彼らがそこから稼ぎ出した指の先ほどな三ペンス銀貨一枚で或は二枚で買えるのである。
 雑踏にもまれる店内の空気は、ヨーロッパわきがにかかっている。眼鏡部から動かぬヴィクトリア時代の女帽(ボネット)がある。頸飾売場で白ブラウズをつけた若い娘が熱心に買物を掌にかけて見くらべている。日曜日のために彼女はおそらく飲まなかった茶のいくばくかを一筋のビーズにしようとしているのだろう。地下の売場へ降りる階段二段目に二三人のちびが陣どってかたまっていた。一人が手の中へ何か握っている。頭を突き合わせてそれをのぞいていたが大人が通りかかると中心の一人はすばやくその手をげんこにして背中にまわしてしまった。この町で大人は子供の楽しみのために顧慮する時間を持っていない。土曜日だ。ロンドン市中で一足売の人絹靴下が数でこなされる土曜日である。

 山の手(ウエストエンド)の公園ケンシントン・ガーデンの鉄柵にはいろんな門がついていた。門にはそれぞれ名がついている。プリンス・オヴ・ウェールス門。クウィーン門。そして或る門の前では巡査が立っている。夏で「ロンドンは田舎っぺえのロンドンになった」ので公園の鉄柵は塗かえ中だ。繩を張って歩道の交通を止め、職人が鉄柵のあっちこっちにつかまってペンキを塗っている。
 鉄柵の奥に散歩道があった。左右が花壇だ。草は溢れる緑だ。樹も緑だ。緑の草原は自然の起伏をもって丘となり原となり、英国のオリーヴ色がかって緑の深い樹蔭をそこここに持っている。自家用自動車専用道路が公園を貫いて走った。その道の上、アルバート・ホールの海老茶色大釜みたいな建物の屋根を見渡すところに、大理石のヴィクトリア・アルバート記念塔が立っていた。ヴィクトリア女皇と、その夫との生涯は公園の記念塔においてきわめて美的感覚に欠如した植民地擬人群像に集約されてしまっている。
 しかしこれはみんな公園の往来に近い側のことである。
 公園の奥にはりすがいた。そこのにれ、かしは大木だ。りすはロンドンでも野獣らしい敏捷さでしっぽで釣合をとりとり頭を逆さまにしてにれの大木の垂直線をかけ下りた。枝から枝へ飛び移ってキキキと叫んだ。一人の紳士がステッキを腰の後へかって梢を見上げ、舌を鳴らしながら南京豆をのせたてのひらをさし出した。りすは野生な注意深さを失っていない。キキと叫び、南京豆を見下し、尻尾をピク、ピク、動かしている。にれの葉が散った。その音がきこえる。
 ベンチは散歩道にそって並んだ。緑色に塗った賃貸し椅子は居心地よい草原のいたるところにあった。若い母親が草原へ布をひろげはだかにした赤坊を遊ばしている。母親自身も靴をぬぎ、草の上へ、赤坊の横へころがった。そばの賃貸し椅子には脱いだ外套がかかっている。
 カーキ色のうわっぱりを着た番人が公園を歩きまわった。椅子の賃は一日三ペンスである。
 山の手公園にその他あるものは書籍。パイプ。犬。――人は英国のこういう公園の中にあって英国の焙肉(ロースト・ビーフ)を思い出さずにはいられないだろう。英国の公園は彼らの民族的愛好物ロースト・ビーフと同じように単純で自然だ――自然であるようにつくられている。巴里(パリー)で公園は人と衣裳の背景としてできている。そこの並木路でも、噴水でも、大理石階段でも、適度に人がそこに動いて美しさを増す。人がそこに動かない時、かつてそこに動いた人の思い出が動いている。だから、秋の落葉に埋れて渇れた噴水盤を眺めたって彼らはつい人を思い出し、いろんな詩を書きそれがマンネリズムに堕してしまったていどに景物は人事的である。
 英国人は公園に北方民族の気質をよく現している。英国人は世界の大商人、政治家になり紳士というものになったが彼等は殺した牛を丸焼きにして食った味と弓矢を背負って山野を歩きまわった心持を血とともに失わない。イギリス人は公園をそこでは自然対人間の割合が100:30の比率であることを心がけている。人間のうちにあっては、例えばスノーデンがヘーグでは100パーセントの英国人で英国の利害を主張している時、それを支持するロンドン中流男女は、自然的公園の樹蔭をスコッチ・テリアをつれパイプとともに散策しつつ彼らの沈着な商魂(コンマーシャルマインド)を放牧した。スコッチ・テリアの鼻面は四角だ。手をのばした背中に臆病な挨拶(コムプリメント)を与えようとするとスコッチ・テリアの剛毛は自尊心のごとく無用の愛撫に向ってけばだった。
 山の手(ウエストエンド)のエハガキ店頭の滑稽(ユーモア)は大体犬と猫とが独占している――。

 弾機(ばね)のいい黒塗の乳母車に白衣の保姆(ナアス)をつれた若夫人が草原の上へ小テーブルに向って脚を組んでいる。そこはケンシントン・ガーデンの奥の野天喫茶店だ。黄赤縞、或は藍と黄の縞、大きな日除傘は英国公園の樹々の間にあってややエキゾティックな派手さを部分的に描き出した。片手のキッド手袋はぬがぬままステッキのかしらについて、茶碗をくちもとにはこんでいる老紳士もある。あたりの草原に雀と鳩がいた。テーブルに向って坐ってる人々はゆっくり茶を飲みながら気が向くと皿の上からパン片や菓子の粉をとりそれらの鳩や雀に投げてやっている。幼児がよちよちと、母の投げた毬(まり)を追っかけて雀どもを追い立てた。雀はさえずる。低くとび去る。燕尾服に白前掛の給仕が盆をささげてそばを過ぎながら笑って腰をかがめ、毬を今度はテーブルについている母親のあしもとの方へころがしてやった。
 草原は低い鉄柵で囲まれている。
 鉄柵に片脚ひっかけ、平行棒をまたぎそこなったようなかっこうで一人の酔っぱらいがふらついていた。垢の光沢だけが見える服だ。カラーはない。鳥打帽をかぶっている。鉄柵から華やかな喫茶店のひよけ傘まではただ数歩の距離だ。四十がらみの一見まごうかたないその失業酔っぱらいは鉄柵の上でふらふらしながら満足した人々の群を眺めていた。永いこと眺めた。それから帽子を手に持ち、やっこら鉄柵をこっちへ越した。そして直ぐテーブルの傍の草原へ来て仰向にころがった。
 赫黒い顔のついたぼろだ。
 雀はテーブルのまわりでこぼれた菓子の粉をついばみピョンピョンとんでねている酔っぱらいの髪の毛のそばまでまわった。午後の茶(アフタヌーンティ)を飲んでいる連中は知らずにいられないのだ。そこへ来て一人のきたない酔っぱらいがころがったことを。だが誰もそっちは見なかった。誰一人見ない。それがこの社会の行儀なのだ。ただ反対側の草の上へ菓子のかけらをまきそれへ雀が群がりよると微笑した。
 酔っぱらいは草の上へひっくる返っていた。やはり永い間そうやっていた。やがて交る交る膝をついて立ちあがりふらつきながら鉄柵へもどった。然しそこをあちらへは出られない。片手をあげて鳥打帽をぐいと額の上へかぶりなおした。満足した人々はいい装をして静かに草の上で茶を飲んでいる。酔っぱらいはあるき出した。給仕が盆をかついでとおる道の上を――テーブルとテーブルと、ひよけ傘とひよけ傘との間の道を黙ってふらつきながら歩きだした。人々は自然な要求で酔っぱらいの方を見た。が、風体を見ると彼等は云い合わせたように一目で眼をそらした。品のいい話声。茶碗の音。笑声さえするそれは不思議な無人境だ。酔っぱらいは黒い存在と自身の重圧に苦しみながら動いて行った。
 行手のプティング・グリーン(球遊びリンク)で英国家庭の見本が午後を楽しんでいる。二人の息子をつれた夫婦と元気な老母づれの青年は軽くクラブを振りながら小さい球を草の間の穴へ打ちこんだ。
 セント・ジェームス公園にも、グリーン公園の草原にも、彼等のからだのまわりの草の上へ煙草の吸殼を散らしながらほとんど一日そこで日に当っている失業者がたくさんあった。或者は眠った。草へ腹ん這いに突伏して眠った。減った靴の裏へロンドンの八月の草がそよいだ。グリーン公園の横通りでロスチャイルドが数十万ポンドの費用で邸宅修繕をしていた。だが、その起重機の音は公園の樹蔭までは響かない。――

 書店のショー・ウィンドウ裏の新聞雑誌売場。一八六九年創立の『グラフィック』。一九〇七冊目の『スケッチ』その他。吊したり積んだり斜かいに立てたりした刊行物の洪水の奥に、ダブル・カラーの男が胸から上だけ出して立っている。男の手にある小型の雪掻きのような道具が小銭をのせて引込み、新聞と釣銭をのせてふたたび現れ、活溌に印刷物の上を往復した。印刷術の進歩と六ペンス・ロマンスに対する欲求の膨張が売子と買いての距離を広くした。伸びる手の長さでは間に合わなくなったんで、こんな道具が出来た始末である。
 日本女はそこで或る朝『デイリー・ヘラルド』を買おうとした。売切れた。翌朝また出かけた。また無い。売子は代りに『タイムス』を小型雪掻きの上へのせ突出した。
 見事な紙に二十四頁刷ってあるタイムスは四ペンスである。これもたまにはいい。何故ならTHE《ザ》という定冠詞とTIMES《タイムス》という名詞の間に獅子と馬の皇帝紋章が楯をひろげている第一面の下は、全部個人広告欄だ。外国人は時々それを見ることによって、少くともローヤル・アカデミー会員の描いた肖像画展覧会に於けると等しく、英国のあらゆる位階勲等を学ぶことが出来る。包紙としてもなかなか丈夫で役に立った。然し日本女は『デイリー・ヘラルド』を欲しいと思う。
 ホテルの玄関は石張りである。そこへ若い女が膝をついてしゃぼんをつけたブラッシュと雑巾を手にもって床洗いをしている。鍵番の爺さんに日本女は明日の朝から『デイリー・ヘラルド』を配達して呉れと云った。するとその金ボタンの大入道は小さい日本女を見下しつつ、云った。
 ――それは労働党新聞です、お嬢さん(ミス)。
 ――知っている。それがほしいんです。
 ――デイリー・ヘラルドを?
 ――そうです。
 ――かしこまりました。
 翌朝室の戸をあけたら、靴の上にきちんとのっかっているのはデイリー・メイルだ。
 ――貴方デイリー・メイルをよこしたのね。玄関へ行って日本女は云った。
 ――あれならいらない。デイリー・ヘラルドよこして下さい。……きっと、ね?
 ――かしこまりました。お嬢さん(ミス)!
 次の朝は――もう何にもよこさない。
 ラムゼー・マクドナルドの髯の大さはこの頃一種の目立ちかたをして来た。政権をとっては左であり得ず、またそのような「分らず屋」でもないことを英国の資本主義と保守とに向って事実上表明しつつある労働党が、山の手では今なおかくの如く左翼であり得るのだ!

 皇室厩(ローヤルステーブル)には細かい砂をまいた広場と蔦のからんだ幾棟かの建物がある。シルクハットをかぶった男と訪問服の女づれがぞろぞろそこを歩いていた。皇帝ジョージの愛馬はアスファルトで爪を傷めぬようにゴムの蹄鉄をつけられている。それを覗こうとした一行に向ってよく手入れされた動物はゆっくり尻の穴をひろげ楽しげに排泄作用を行った。

「トロカデーロ」の喫茶室は昼でも人工の間接照明だ。眉毛を描いたピエロが赤絹の飾帯を横へたらしてロマンスを唄っている。種々なサンドウィッチ、菓子、果物サラドの全行程をリプトン紅茶とともに流し込んで、丈夫な群集にピエロが描いた細い眉をあげながら顫音(トレモロ)でロマンスを唄っている。

 だが、彼女の皮膚はきっと冷っこいのだ。それは若々しい彼女自身がしなやかな一つの楽器ででもあるようにああやって立ってヴァイオリンを顎の下へ当てがってる工合でわかる。弓(きゅう)を運ぶむき出しの右腕の表情でわかる。彼女は近代女性の感覚で、ロンドン有数な喫茶室の第一ヴァイオリンひきという自分の職業を理解しているのだ。

 この時百貨店スワンの五階で、マニキン学校卒業の一人の美しいマニキンが着換のため急いで昇降機(リフト)へ入ろうとした。拍手に彼女はあたりまえの女になり、我知らず気を急ぎながら足許には注意する、大して若くもない、大して楽な暮しもしてない女のうしろつきを人生の真実な一瞬に向って落して行った。

 これ等はどれもチャーリング・クロスから遠くないところにある情景だった。チャーリング・クロスは古本屋通である。交通機関が立てるちりは古本屋の店頭で大英百科字典(エンサイクロペディア・ブリタニカ)の堆積の上へ落ちた。よりどり一冊六ペンスの古本の切れた綴目の間へ落ちた。
 古本屋の向い側に一軒衛生薬具販売店があった。ショー・ウィンドウにいろいろゴム製品と封された薬品が並べられていた。黒のむぎわら帽をかぶり紺の組服(スーツ)が肩胛骨の上でなえた中年女がその店へ入って行き、白いうわっぱりを着た男に小さい紙片を渡した。それは彼女が週刊新聞『労働者生活』の隅から切り抜いて来たものだ。『労働者生活』は一ペニーである。鎌と鎚の組合せマークと「全世界の労働者よ、団結せよ!」と云う文句が毎号刷ってあった。
 衛生薬具販売店の男は藍色のパンフレットを五冊大きな封筒に入れその女に渡した。女は去り、濡れたコンクリート床へさっきの紙切がとんではりついた。「産児制限。無代進呈。女性への忠言、産児制限、効用並害悪、良人と妻の便覧、妻の知識、以上五冊の有益なる医学書を最も有効にして無害なる産児制限具の図解カタログとともに無代進呈す。チャーリング・クロス九五番。衛生薬具販売店」。
『労働者生活』購読者はその死亡広告に現れる平均年齢六十九歳というタイムスの読者のように家庭医というものは持っていないのだ。だからこれは衛生薬具店の商売法として合理的な性質を帯びた一つの儲け方なのだ。が、それ等のパンフレット第三冊にある哀切な笑えぬ笑い、近代の貧乏について果して何人の英国諧謔家がその同感をよせているであろうか。「衛生的貧者の友」と名づけられるゴム製品がある。それは強靱な厚いゴムによって作られ、特殊な装置によってそれ一つを伸せばワッシャブル・シースとなって夫のため、巻きちぢめればペッサリーとなって妻のため「かくて数年間使用に堪ゆ。資力に限りある者にとっては最も適当、実用的なるものなり。」

 日本女は再びトインビー・ホールの受付へ白封筒とともに現れた。そして水色の服を着た受付の若い娘の後について育児相談室、職業相談室その他を見て廻った。月曜日だ。が、主事は留守だ。相談をもって来る筈の人々も留守だ――どの室にも誰も来ていない。がらんとした室の奥にテーブルがあり、その前で鼻眼鏡をかけたレディが一人で何か記入している。九月になれば講義の始る狭い講堂ではちりをかぶった床几が夜明け前のカフェーだ。窓からさし込む八月の午後の光が灰色の壁の上に逆に立った床几の脚の影を黒くうつしている。何とも云えずあたりは静かである。
 別棟に真中が磨滅した石の階段がついている。階段は危っかしく暗い。そこを登る時はすっと涼しくなった。左手に木の低い戸が半分開いて年とった女の声がした。内部も天井が低く室全体が陰気で暗かった。黒くよごれた裸のテーブルと床几が並んで粗末な白い茶碗がそこここに出ている。暗い奥に前垂をかけた働き婆さんが二人だけいて天井に声を反響させながらしゃべっていた。トインビー・ホールへ来る「彼ら」は二ペンスの茶をこの中で飲ませて貰うことが出来た。
 ――これは改良する余地がありますね。すると水色服の娘は直ぐ快活に答えた。
 ――けれど無いよりはこれでもましなんです。
 中庭に隣接した高い赤煉瓦の建物の裏を見上げた。鉄のバルコンと無数の洗濯ものがそこにある。青々と蔦のからんだ建物は云わば主家である。民衆教育の開拓者トインビーが十九世紀にここを建てて以来の細い廊下がその内部をぐるぐるうねっている。窓は鉛条入りのはめきりガラスで当時からとざされたまんまだ。教会内陣めいたその廊下の壁にいくつも写真がかけてある。案内の娘はそれを指しながら満足気に説明するであろう。
 ――これが一九三〇年[#「三〇」に「ママ」の注記]にとられたものです、それからこれが昨年の。真中に坐ってらっしゃるのが今の監督です。
 それから、
 ――あら! ここに日本の女の方もいますよ!
 確にそれは日本婦人だった。日本女子大学卒業生型の日本女性代表だ。――が、大体これらの写真はおかしい。一枚の成人教育課程終了者群の写真も無い。淑女紳士(レディス・アンド・ジェントルメン)の写真だけである。足の下には敷かぬ絨毯(カーペット)を前景に拡げ、背後の蔦とともに綺麗に並んだトインビー・ホール居住人――数ヵ月の社会事業見習期間を終った「社会事業家」が監督を中央に記念撮影している。
 樫(オーク)の腰羽目をもった天井の高い室がある。トインビーの等身大肖像画が壁にかかり大きなロンドン市紋章が樫(オーク)の渋い腰羽目に向ってきわめて英国風にエナメルの紅と金を輝やかせつつ欄間にかかっている。タイムス。デイリー・メイル。デイリー・ミラア。新聞の散った小テーブルがゴシック窓の前にあって――ああ。ここから土曜日の午後、一紳士が茶を飲んでいるのが見えたのである。絨毯が敷いてあるから足音がしなかった。今誰もいないがやがてここで茶を飲むであろう人間のために純白の布をかけたテーブルの上に八人分の仕度がしてあった。匙やナイフは銀色に光った。菓子や砂糖や牛乳や。豊富で清潔だ。
 ――ここで働いている方たちの食堂です。(オックスフォードやケムブリッジ大学には、月千五百円つかう学生だってある。)
 娘は隅のテーブルへ連れて行ってアルバムをひろげ日本女の署名を求めた。
 往来に面した掲示板に今日は成人教育プログラムともう一つの紙が貼られている。伯爵(アール)某々が下賜された土地(ロンドン市中央よりほぼ一時間)小住宅とともに十五年年賦で分譲する。希望者は事務所へ照会せよ。

 ホワイト・チャペル通の交叉点を過ると、街の相貌がだんだん違って来た。家並が低くなった。木造二階家がよろめきながら立っている。往来はひろがり、タクシーなんか一台も通らない。犬もいない。木もない。そして人も少い。太陽だけが頭のテッペンから眉毛の抜けたような街を照りつけている。先の見とおしばかりきく一種の臭いのする白昼の街を乗合自動車(オムニバス)が時々空虚から脱走するように走った。
 こんな街に向って「民衆宮(ピープルス・パレス)」の白いペンキ塗鉄の大門扉は堂々ととざされている。土曜日の夜七時からある一シリング六ペンスのダンスとテニスに関する告示が鉄柵の上のビラに出してある。ここはロンドン市が誇りとする、そしてあらゆる案内書に名の出ている「民衆の宮(ピープルス・パレス)」なのだ。何か民衆のための実際的な設備がなくてはならぬ筈である。
 そばのくぐり門を入ると左側に二つ並んでテニス・コートがあった。硬球だ。黄色い運動服を着た女学生と白ズボン、白シャツの青年が愉快そうにテニスをやっている。門外の告示に書いてあった。テニス・コート使用料一時間二シリング。電話東(イースト)一七一五番、または事務所に照会せよ。
 その辺には誰もいない。温室のようなガラス張の天井があちらに見えた。喫茶室(ティールーム)とあるので日本女はその中へ入って行った。沢山の空の籐椅子の上に日光がある。高いガラス天井の下やしゅろの鉢植のまわりを雀が二羽飛び廻っていた。茶番の年とった女がいるだけだ。日本女は英領オーストラリア産小鳥の剥製を眺めながら宏大な空気中で三ペンスのパン菓子を食った。そうしたら雀がその粉をついばもうとしてテーブルのまわりをとび始めた。
 携帯品あずけ所と洗面所は清潔だ。民衆(ピープルス)にとって残念なことにはその心持いい水洗便所(ウォータークロゼット)を利用するために通って来る暇が彼らにないということである。
 いくら笑っていても日本女は英国人の愛するお伽噺の女主人公美しきシンデレラではなかった。既に過去何十年間かこの宮殿(パレス)にない図書室、科学、芸術、工業の知識普及のためのクルジョーク(組)。モスクワではあらゆるけちな労働者クラブにさえ満ち溢れるそれらのものを、唯一つの手ばたきでここに視角化する魔力は持たぬ。民衆宮(ピープルス・パレス)とは日本よりの社会局役人をして垂涎せしむる石造建築と最初建造資金を寄附したミス・某々の良心的満足に向って捧げられている名前である。
 門の方へ出て来ると、黒い水着を丸めて手に持った少年が番人に六ペンスはらって入って来た。水浴だ。黄色い運動服の女学生の姿は、一時間二シリング分だけネット裏で美しい。
 人通りのない鉄柵に沿った暑いがらんとした通りをアイス・クリーム屋が通る。手押車にブリキ罐だ。
 ――JOES《ジョース》 ICE《アイス》! JOES《ジョース》! 三片(スラッペンス)!

 古本屋みたいな窓の中はぎっしりの本だ。あなたの運命を自身で判断しなさい。手相占の本もある。ボール札が紐でつる下っている。
  諸君ノ図書館ヲ利用セヨ。
 古本屋は東端(イーストエンド)でイギリス痛風だ。震えた字だ。
 屋根にトタン板を並べた鋳鉄工作所から黒い汚水と馬糞が一緒くたに流れ出して歩道の凹みにたまっている。
 内部は何があるのか解らぬ古コンクリート塀がある。
 からからした夏の太陽ばかりがこれらゆがんで小さい人間のいろんな試みの上に高くて、路幅は広くて、真直な行手は空っぽだ。人々はここで何を食べ着るのか。そんな種類の店がいたって少ない。
 この裏から東端(イーストエンド)唯一の大公園ヴィクトリア公園がひろがっている。
 公園には樹があった。
 樹は青い。樹の下にベンチがあった。両肱の間へ頭を挾んでベンチへまるまって寝ている男がある。
 パイプのない口をぼんやりつぼめて、爺が地べたを見ている。
 日向では婆さん連が並んで、黙って、ロンドンの紫外線少い夏を吸い込もうとしている。日向だと空気中に何だか匂いがした。
 円い池があった。遠浅で下は砂だ。子供等が膝の上まで水に浸って遊んでいる。
 山の手(ウエストエンド)の公園ケンシントン・ガーデンにもこういう池があった。午後その池のおもては子供らが浮べる帆走船(ヨット)の玩具で十八世紀のロンドン・ドックのようだった。ヨットの白い帆は母親達の色彩多い装を一層引立てた。
 ヴィクトリア公園の池でほっぺたのこけた顔色わるい子供達は玩具がないから脚で水をバジャバジャ蹴ったり、棒切れで仲間に水をはねかしたりした。笑わず遊んだ。大人みたいな様子の女の児の白い下着の裾が水に濡れた。垢じんでるところを濡れたので尻の上まで鼠色にくまがひろがった。水の中へ立ったまんま、十ばかりの男の子がずっと自分より背の高い子を顎の下から突上げた。突かれた方のは、やっと立ってる位のちびの頭の毛を掴んで水へ突込みそうにしてはギャアギャア云わせていたのだ。池の岸に赤セルロイドのしゃぼん箱のふたがころがっていた。
 池を眺めて並木路が通っている。木の根っこのこぶに腰かけて半ズボンの男の子が靴下を穿きかけている。前に両方の紐でくくりつけた靴がほうり出してある。
 そばでもう一寸年の小さいのがやっぱり同じ作業をやっているのに低いかれたどす声で何か云っている。
 ――何だって? なぐるぞ。
 同じ低いどす声で云って顔を動かさず靴下を引っぱり上げている。
 木の箱へ何かの鉄たがで工面したような輪が四つくっついている。繩一本地面にのたくっている。それで引っ張るように、木の箱の中へ赤坊が入っていた。額に横皺の出たしなびた赤坊が入れてあった。赤坊もそれより大きい子供たちもここではロシアのバラライカを逆に立てたような顔付をしていた。逆三角は人間の顔ではない。だから見る者の心臓にその形が刺さった。耳の横や食い足りない思いをして居る大きな口のまわりに特に濃く、そして体全体に異様にねっとり粘りついている蒼黒さは東端(イーストエンド)の貧の厚みからにじみ出すものだ。子供等自身はそれについて知らぬ。富裕なるロンドン市が世界に誇る、英国の暮し向よき中流層を拡大させつつ東端(イーストエンド)には一時的ならぬ貧を二代三代とかさねさせているうちに、この逆三角の顔を持ち七歳ですでに早老的声変りをした異様な小人間がおし出されて来たのである。
 並木路のまんなかを一人の男の子が小便しながら歩いて来る。
 子供の生活に興味を示しているような大人はこの辺に一人もいなかった。小さい稼がぬ人間と稼いでも稼いでも碌な飯の食えない人間と稼ぎたくても稼ぐに道のない人間とがあるだけだ。
 ヴィクトリア公園を二分する道路のあちら側に鉄門があって、そっちに草原がひろがっていた。おふくろのを仕立直したスカートをつけたお下髪の女の子そのほかが草原で遊んでいる。草原は禿げちょろけだ。短い草が生え、ところどころ地面が出ている。賃貸し椅子はない。人間につれられて駈けつつ首輪を鳴らす犬はいない。
 公園の外を一条の掘割が流れている。橋の欄干にひじをかけて男が二人どこかでテームズ河に流れ入るその水の上を眺めている。鉄屑をのせた荷舟が一艘引船で掘割をさかのぼって行くところである。舟をひいているのは馬だ。一人の男がよごれた背広で馬の横、コンクリートの上を歩いて行った。

 再び二階建の家。家の裂目から気違いのようにでこぼこした小屋が飛び出て居た。家。家。赤煉瓦の家。東端(イーストエンド)もここいらは上の部だ。駄菓子屋がペニー菓子を売っている。極く安物の雑貨屋が木綿靴下やピンやセルフリッジの絵葉書部にあるのとは種属の違う二ペンスエハガキを並べた。たとえばこんなエハガキだ。
 街角。赤襟巻の夕刊売子がカラーなしの鳥打帽をつかまえて云っている。
 ――ペニー足りねえよ!
 ――うむ……ねえんだ。
 ――持ってるって云ってやしねえ。だが、俺にゃペニー不足におっつけて手前あくるみ食ってやがる。ペッ!
 白手袋の巡査がびっくりして振向く夕刊売子の腹にビラが下ってる。「又々大胆不敵なる強盗現る」こんなのもある。列になって失業者が立っている。「失業者相談掛」札の下った机の前だ。ひしゃげた山高帽の失業者がだぶだぶズボンに片手を突込んだなりその机に肱をついて
 ――ねえ、旦那。あっしゃもうこれで一年以上お情金で食って来たんだがその方の昇給って奴はねえもんかね?
 こういうエハガキを売るビショップ町ではキャベジ一つ一ペンスである。二三ペンスで茶色に乾いた燻製魚が一匹食える。調子っぱずれなラッパの音がした。よごれくさった白黒縞ののれんの奥だ。看板に「火酒(スピリット)」。臓物屋の店先で女子供が押し合った。
 ピカデリー広場行の乗合自動車(オムニバス)はかなくそでつまったような黒いロンドンを一方から走って来てビショップ町の出入口から心配げな顔つきをした僅の男女をしゃくい上げた。そして再び場末のごたごた中に驀進した。

 デパアトメント・ストアだ。家具大売出し! 十八ヵ月月賦!
「キリストは生きている!」教会だ。
「質」
「古着」

 高い建物と建物との隙間に引込んで煤けきった大鉄骨が見えた。黒い、日のささぬ鉄骨の間に白いものを着た子供が動いていた。工場裏に似たそれは皇后児童病院(クイーン・ホスピタル・フォア・チルドレン)だった。

 チラリと水がはがね色に光った。掘割だ。高架鉄道陸橋(ブリッジ)は四階の窓と窓とを貫通した。

 タクシーがちらほら走った。

 おや、しゃれた警笛(クラクソン)が鳴るじゃないか。なるほど乗合自動車(オムニバス)はやっとロンドン市自用車疾走区域に入った。

 汽船会社が始まった。また汽船会社がある。何とかドック会社がある。船舶保険株式会社がある。再び汽船会社だ。
 その建物全体がそのまま金庫みたいな外観をもっていた。窓に金色の楯に王冠をかぶった獅子と馬とが前脚をかけた例の皇帝紋章が打ってある「大英宝石商会」である。
 続いて堅牢な石の外壁に沿って走り乗合自動車(オムニバス)は非常な雑踏のまっ只中に止る。そこは都会の三角州である。ここでは妙に身丈の縮小したように見えるロンドン人が山高帽の波を打たせて右往左往やっている。一つの騎馬像が人間波浪から突立って見えた。英蘭銀行(バンク・オヴ・イングランド)の八本の大円柱がこの三角州の上で堂々と塵をかぶりつつ、翼を拡げている。
 貧乏人町東端(イーストエンド)の方からやって来るところには一本の円柱もない。見上げる石壁が平ったく横に続いてるだけだ。が、山の手(ウエスト)から来ると人はあらゆる地上地下の交通機関とともに必ずこの英蘭銀行(バンク・オヴ・イングランド)三角州につき当った。八本の大円柱の上の破風にはANNO―ELIZABETHAE―R――CONDITUM―ANNO―VICTORIAE―R――RESTAURATU。即ち英国の旺盛な植民地拡張時代をしめす符牒のようなラテン語がきざんである。広い石段を上下する人間は気ぜわしい往復の爪先で広場の鳩を追い散した。広場はガラス張だ。――下が地下電車の停車場なのだ。一九一四―一九一九年大戦に於て彼らの皇帝並帝国(エムパイヤ)に奉仕せる将校、下士およびロンドン市民の不朽なる名誉の為に、記念碑が立てられている。今日は休戦記念日(アーミスティスデー)じゃない。事務的なロンドン人は邪魔っけそうにその銀行前に突立つ記念碑をよけて急ぎ歩いた。枯れた花輪が根のところにあった。いくつもの空の花立はひっくり返って、白い鳩の糞だらけだ。そして三角州の突端、騎馬のウェリントン公爵像は背後に英蘭銀行(バンク・オヴ・イングランド)を、右手に株式取引所の厖大な建物を護り、巡査部長のように雑踏を上から睥睨(へいげい)している。
 山の手(ウエスト)のここは終点である。英国のあらゆる国家的、個人的美徳、老獪、権謀がこの煤けた八本の大柱列内部で週給六十四シリング以下三四十シリングの男女行員達のペンにより簡単明瞭なる「借」「貸」に帰納されつつある。背後に「東端(イーストエンド)」がひろがり始めていようとも英蘭銀行(バンク・オヴ・イングランド)の正面(ファサード)は広大だ。両手を拡げるように都会植民地の前に大柱列を並べ、人はそこまで出てしまうと西(ウエスト)から来て再び西(ウエスト)へ寄せ返す人波と、二つの巨大な磁石巖――株式取引所と銀行とのまわりで揉み合い塵を捲き上げつつ流れる人渦とを見るだけである。

 ヨーロッパの買占人、紐育ウォール・ストリートでは、アスファルトとギャソリンくさい空気の中で著名なる経済学者ベブソン氏を不安ならしめつつ、未曾有の貸出と買占が行われている。
 ベルファストでは英国労働組合(トレード・ユニオン)が大会開催中だ。議長ベン・ティレットがした演説にはこういう一節があった。
「国際経済統制の権衡の大部分はアメリカ合衆国に移動した。戦時中アメリカが集積した債務はこの移動の一原因にすぎぬ。アメリカの莫大なる天然資源、素晴らしい国内消費、不断に展開しつつある繁栄。これらもまた考慮に入れなければならない。西欧の資本家は利潤と返還資金を待望している。英国がこれらを供給しなければならぬ。
 それ故労働組合運動は経済単位としての英国国家組織のなされる提案に密接な関係をもって従わなければならぬ。」

ソラ、巡査が手をあげたぞ!
今のうちだ。つっきれ!
 が、日本の新聞までその写真をのせるパレスタインの「欺きの壁」とは一体何だろう? 何故英国は、大英博物館わきに本部をもつジオニストのために軍隊を動かし、ジオニストに武器を与え、何故アラビア人は殺されたのか?

ANNO――ELIZABETHAE――
ANNO――VICTORIAE――

 ロスチャイルドを親方にして民族国家をパレスタインに建設しようとする猶太(ユダヤ)「ジオニスト運動と英国の根本政策とは一致した」。パレスタインに英国軍用機駐屯所を持つことは近東及印度に対していい押えだ。ルッテンベルグ協約で英国はヨルダン水力電気利権を得た。死海協約でおよそ八十億ポンドの塩を英国は死海から儲けるであろう。パレスタインで農業をしていた先住アラビア人は多く土地を奪われた。ジオニスト政策は猶太(ユダヤ)人労働者を労働貴族にした。「パレスタイン労働組合(トレード・ユニオン)は資本家と争うためではない。」アラビア人労働者の組合加入、組合組織は禁止され、鉄道従業員組合だけが開放されている。そしてパレスタイン労働賃金は、
      不熱練       熱練
      志.片.      志.片.
猶太人 ……4/2―5/2   6/3―8/4
アラブ人……1/3―2/1   3/1
 交通機関の血圧上昇がやや緩和された。フリート町だ。新聞社町である。ジョソン博士が麦酒(ビール)を飲みながら片手に長煙筒を持ってビール盃を出す料理屋がフリート町にある。その半木造(ハーフティムバア)の家で昔ジョンソン自身が現代の新聞社街を支配する資本家を知らずに酔っぱらった。そして気焔を吐いた。
 ハイド公園(パアク)に近いピカデリー通りで貴族の邸宅は年々クラブや自動車陳列店と変形しつつあった。そして、バッキンガム宮殿の鉄柵に沿って今もカーキ色服に白ベルトの衛兵が靴の底をコンクリートに叩きつけつつ自働人形的巡邏を続けているであろう。になった銃の筒口が聖(セント)ジェームス公園の緑を青く照りかえして右! 左! 右! 左!

 オックスフォード広場で、勤帰りを待伏せる春婦が、ショー・ウィンドウのガラス面に自分の顔を、内部にこの商品を眺めつつぶらつき、やがて三十分もするとロンドン市中、あらゆる地下電車ステーションの昇降機(リフト)とエスカレータアは黒い人間の粒々を密集させて廻転する巨大な産卵紙となる。乗合自動車、郊外列車。夕刊。パイプ。あいびき。それから家庭へ! 家庭へ! 下宿へ。下宿へ! 英蘭銀行(バンク・オヴ・イングランド)を中軸とする商業地帯は午後五時以後一時に暗く貧血して夜毎の仮死状態に入る。
 が、諸君!
 ロンドンの勤労者諸君! 諸君はロンドン地下電車に積み込まれて疾走しつつ、頭の上にどんなロンドン市地図が展開しているか果して知っているか? 大都会の植民地東端(イーストエンド)から英蘭銀行(バンク・オヴ・イングランド)にいたる黒い長い路。それから、新聞街、問屋町、西(ウエスト)バッキンガムに至るまでの活溌な、広い路。そのどこに諸君の町があるか。知っているか? 地表のロンドン市がいるのは労力だけだ。だから地下電車は君らを真空管のように吸い込んでは市の中へ、真空管のように吸い込んでは、滓として市の外へ捨てつつある。ただ手に持つパイプをたたき落されないだけの平安だのに、諸君はさながらロンドンを所有しているかの如く平安なのだ。
 或る日、東端(イーストエンド)から逆三角の顔を持つ老いたる若い時代が隊伍をなしてくり出して来なければならない。そしてロンドン市はいかに彼らの上に組み立てられているか、知らなければならない。
 或る日、東端(イーストエンド)から逆三角の顔を持つ老いたる若き時代が隊伍をなしてくり出して来なければならぬ。そして、山の手(ウエスト)人は食慾を失い、ロンドンが踏んまえている者の鼻面へオーデコロンをぬった鼻面を擦りつけさせられなければならぬ。

 幅ひろい雨がロンドンに降った。夏の終りだ。ペーヴメントを濡し薄い女靴下をびっしょりにして降る雨は、自動車がほろの上にしぶきを立てつつ孤独に走る両側で夏の緑をずっぷり溶かした。
 驟雨が上る。翌日は蒸し暑い残暑(セプテンバア・ヒート)だ。樹がロンドンじゅうで黄葉した。
 空は灰色である。雨上りのテームズ河に潮がさし、汽船が黒、赤、白。低い黒煙とともに流れる。架橋工事の板囲から空へ突出た起重機の鉄の腕が遠く聳えるウェストミンスタア寺院の塔の前で曲っている。河岸でも葉は黄色かった。トラックのタイアに黄葉が散ってくっついて走った。

 PELL《ペル》――MELL《メル》は古風な英国の球ころがし遊びの名である。
 古来英国人は実によく球で遊んで来た民族だ。潮流の加減で冬でも霜ぶくれにならぬ草原と地震なきゆるやかな丘の斜面が彼らのところにある。遊牧時代のある日、そういう丘の斜面を一つ円っこい石が転り落ちたのだろう。羊の皮を下腹に巻きつけたMR《ミスター》・ジョンブルの祖先が野蛮なる青春の歓喜に満ちてそれを追っかけ、拾い、また丘のかなたへ叫びながら投げかえした。木の枝で打ち飛ばした。木の枝の切端は専門家がそれについて数頁の説明を費すであろう現在のゴルフの打杖に迄進化した。球を小さくして青羅紗の上へ転して見る。大きい円い奴をふっ飛ばして一つの跳躍する球が人体集団をいかに制約するか、金を儲けて見物する。しゃれたチョッキで見事な馬にのって球のかっ飛しっこをする。――いろんな道具でいろんな工合に球をころがして遊んでるうちに英国人に地球までがあしらい切れる、つまりは一つの大きな球ではないかと云う風に感じられた時代もあったのではなかろうか。
 ロンドンのPELL《ペル》・MELL《メル》は有名なクラブ通りである。各々のクラブは会員共通の利害を意味する有形無形の現代的球を中心に、外国人がその会員として推挙されるとそれを一種の名誉に感じる程度の結晶をなしている。王室自動車倶楽部(ローヤル・オートモビール・クラブ)というものがペル・メル通にあった。自動車に関係ある人なら誰でも会員になれるのだそうだ。じゃあビーン製作工場の労働者や、オーステン製作場に働いてるものはてのひらの皮まで自動車油にしみついてずいぶん直接関係の者なんだが――どうだろう? 一つ会員にしちゃ貰えまいか。夜会服で英国のプディングを食っている王室自動車クラブの連中はびっくりして、その仲間をそっと喫煙室の隅へ引っぱって行き、舌を出させて覗き込むだろう。それから医学的忠告を与えるに違いない。――君、気をしずめ給え。冷えないように今のうち家へ帰ってヒマシ油飲んで床へ入るこったね。……

 ロンドンの全人口が毎土曜ゴルフをやりに出かけるのではない。証拠に、こう云う文句がある。「おい、あの紳士は、フランス語、イタリー語にゴルフ語しゃべくるぜ」

 ジュネに於ける国際連盟の都市衛生顧問は、世界に於て最も衛生施設の行届いた都会としてロンドンをあげるだろう。巡回看護の制度はロンドンで最初に制定されたと。ロンドンで病院(ホスピタル)と云えばほとんど無料病院の同義語ではないか、と。たしかにイギリス人は公共慈善事業への応分の寄附は、犬一匹飼えば七シリング六ペンスの税を払わなければならないと同様定期支出の一部と認める伝統をもって来た。しかし本来の性質上その英国に於てさえ慈善心の発動にはいかに技巧的な絶間ない刺戟が必要かと云う例をレッツ出版の事務用出納簿が明かに示した。そこで彼らは五十余頁にわたる類別商店会案内の後でいきなり痛切な活字の叫びに捉えられるだろう。
 ――助けよ(ヘルプ)
 ――一杯やる前に遺言に署名せよ。(サミュエル・ジョンソン)貴君の遺言中に当院への遺贈を記入されんことを。
 ――何処にあるか。
   何をしているか。
   何を必要としているか。
 助(ヘルプ)を求めて!! 火花を飛ばしているのは病院孤児院ばかりではない。宗教団体、養老院、盲唖院、皇后が保護者となっている馬の休養所まで等しく「熱心に」「火急に」寄附を求めている。
 ミス・エラリン・メイシーは社会組織のひびから発するこの!《エクスクラメーション》を事務家的才能で把握し婦人雑誌に写真ののる成功者となった。慈善的催しを組織する専門職業婦人がロンドンに数人ある。彼女もその一人である。美しい耳飾をたらし、白い歯の上で英語語彙中のある部分――慈悲とか同情とか社会的意義とか云う言葉をへらしつつ着々自身の経歴に重みを加えている。
 満ち足れる人々から一シリングでも多い寄附を得るためには彼らを極めて快く楽しませなければいけない。演劇園遊会。三つの芸術(文学、音楽、美術)の舞踏会。――そこにミス・メイシーの頭脳がいる。婦人水着の新型がニューボンド通に現れるより遅くも早くもない時に游泳祝祭(スゥイミングゲーラ)を。そして、貧しき母の為の産院寄附金募集には上流貴婦人連が各自家重代の銀器を持ち出して華々しい展覧会を開催するというグロテスクな皮肉に亢奮させられてはいけない。英国人は「与え而して取る(ギブアンドゲット)」という人生根本原則が顛覆しない限り、あらゆる人生の美、醜に面してつねに沈着なのである。

 八月某日。デイリイ・ミラアに面白い記事がある。ロンドン市の「疲れた婦人の休養所」の一つがX嬢その他数人の献金によって数年来経営されて来た。ところが最近ロンドンに疲れた女が殖え、よく繁昌する。一日退職軍人その他から成る委員が集った。そして決議した。「当院が今日の如く隆盛におもむいた以上さらに有料寝台を増して、その利益配当を最初犠牲的社会奉仕をしたX嬢その他出資者に分つのが最も合理的な感謝手段であると思惟す」と。
 もっとも決議に出資者らが何と答えたかは出ていない。出資婦人達はオスワルド・モーズレイ一族みたいに写真班に追廻されないというだけの違いでやはり南フランスの海岸でも歩いているのである。

 巴里(パリー)に日本人が沢山いる。巴里(パリー)で日本人はいかにフランス人が考えるように物を考えるべきかということを第一に学びはせぬ。巴里(パリー)で日本人は俺が考えたいように物を考えても苦情の云い手はないんだということを何より先に学ぶ。賢い奴はさらにその俺の考えというもののこね出し方について必要な意志を自覚する。
 英国で日本人は違う。日本人のまんまさすらい廻って巴里(パリー)でのように皮膚黄色き異国情調を売っておられぬ。英語の夢でうなされなくなった時、下宿の晩餐にいちいち襟飾を代えて出るのが面倒くさくなくなった時、頭の蓋を一寸開けてなかを見せて呉れ。彼は英国を理解しているばかりではない。すでに英国人のように考え、云い始めている。英国までの旅費は高いから行ってすんでいるのは脱走したマドロスの外9%まで日本のまあ相当の人々である。彼らに内在するあらゆる自然発生的中流的素質は、老大国の首府に暮すうち数等政治的年功を積み、実利主義によってきたえられたイギリス中流的秩序によって言語とともに整理される。英国人の他人種に馴れる馴れ方はフランス人の馴れ方と違う。英国人が或他人種に彼らの馴れを示した時は必ずその人種が彼等の物となってしまっている時である。かくて――
 S・M氏夫妻は日本に於ける彼の店がつぶれた後ロンドンへ来た日本人である。
 数ヵ年住んでいる。すでに質素なアパアトメントの壁はどんな紙で貼られているか見えなくなった。そんなにうんと経済に関する各種の書籍が集められた。M氏は多く読み、英国労働組合内に友人を持ち、ロンドンに於けるインド留学生集会に招かれて自治論を慫慂(しょうよう)した。
 ロンドンでなら、しかし、いつでもM氏夫妻に会えるとは限ってない。国際連盟の労働会議があると、夫妻はジェネへ出かけた。労働代表はM氏の語学と時に応じての忠言で援助された。自分一箇の利害は没却して日本における労働問題解決の縁の下の力持、社会へ奉仕するのが商人でなくなったM氏の理想である。
 ロンドンにおれば、また相当来客がある。M氏程まだ充分イギリスを内臓へ吸収せぬ後輩、あるいははるばる官費で英国視察に来た連中が時間と語学の不足から彼のもとへ駈け込み、集約(コンサイス)英国観察供給方を依頼する。
 時に例えば某学校長のような訪問客さえある。校長君の意見によると英国を英国たらしめたのは何よりも英国の紳士気質(ジェントルマンシップ)だ。ゆえに努めてイートン、オックスフォード、ケンブリッジ等の教育振を視察して行きたいと思うがどうでありましょう。客間の壁には、マルクスと並んでおびただしい正統学派、心理学派経済学者の写真がかけ連ねられている。日曜日の午後は半ズボンで過す英国人らしく哄笑しつつM氏は説明するだろう。
 ――今更そんなものいくら見たってしょうがありゃしませんよ。今日では英国人自身が紳士(ジェントルマン)なんて言葉は便所にしか役に立ってないって云ってる位だもの。……ああ云うところはね、小さいうちから、お前達は特別な人間だぞ、と思い込まして特殊な支配者を養成したところなんだ。
 そして、きわめて純粋な英国式解釈で、一般大英国人の社会奉仕の観念につき、商魂につき強固な社会的訓練および公平な勝負(フェアープレー)の価値について古物的な東方からの客を啓蒙する。
 ある夕方、日本女がその客間に坐っている。彼女はロンドン表通りに於て他人である自分を感じる。すなわち、英国人の公平な勝負(フェアープレー)という標語もボート・レースやポローの競技場埒外では、アフガニスタンやパレスタインまで出ると怪しいもんだという懐疑を公然抱いているのだ。彼女は坐っている。
 M氏は、
 ――こないだも、あの有名な醤油の某々の息子がやって来てねえ。
 これは興味ある話題である。
 ――いろいろ話していったが、若い者が相当いろいろ苦しんでるんだな。彼が云うにゃ自分なんか決して人の思うような贅沢な暮しなんかしていないんだ。それでてうまく行かない。何とか考えは無いかと云うんだ。だから僕が云ってやったんだが、本気で何とかする気だったら先ず自分がすっぱだかになって見せないじゃあ駄目だ。組合を認めて、代表を出させて、年に一遍正直な決算報告書(アカウントビル)を見せるんだ。普通の金利七八分の配当を得ようとするのは合理的なんだから労働者だってそれが悪いとは云えやしない。それ以上取ろうとするからやかましいんでこれできかなけりゃあ労働者の方が悪い、すべて、与え、而して取る(ギブアンドゲット)なんだ。――どうだね、一つやって見たらって云うとね、先生そんなこと受けつけるような相手じゃないんですって云う訳さ。受けつけるも受けつけないにもやって見ないで分りゃしないじゃありませんか! ねえ。
 合理的だと云うこととある人間にとってそれだと好都合だと云うこととは二つの別なことである。日本女はそう思う。が、M氏は自身見て疑わぬ。訓練ある英国労働組合(トレード・ユニオン)はほとんど全線にわたって資本家国家のかくの如き要求を合理的と認め、現に賃銀値下げに協調しているではないか。この合理化を非合理化だと叫んでいるのは、英国人の商魂という特殊性を没却した第三インターナショナルの指令のままに誤った戦法を繰返しつつある小数運動者ばかりではないかと。
 ――君と私とは心理状態が違う。だからたがいに歩み合って協調しようと云うのがイギリス流さ。ところが君と私とは心理状態が違う。だから独裁がいるってのが彼らの考えかただから、妙さ!
 妙な考えかたをするという点においてはイタリーのファッシズムとロシア・プロレタリア独裁が氏にとって全く相ひとしきものである。
「英国人の着実な商魂が実際においてどれだけの働きをしているかと云うことは、炭坑夫安寧協会の仕事を見ても分る。炭坑主が一頓について一ペンスだけ出して独立な大きいビジネスをやってるんだ。」
 しかし、その同じ着実な商魂が考え出した英国炭坑における合理化(ラショナリゼーション)と云うことは、二年前(一九二七年)に比べると十六パーセント減の労働人員によって前年より千三百万頓増大した採掘量を持ち、労働者の賃金は一交代九シリング六ペンスから九シリング一ペンス1/2に落ちて死傷率が高くなったという事を意味する。

 ペンネン通十三番地。労働大学(レーバーカレッジ)の露台の上に大きな「売家(トゥ・ビィ・セールド)」の広告が張り出されていた。内部は空屋同然である。前垂をかけた掃除女が一人廊下を歩いている。階下の戸を開けっ放した室で年とった四角の体の男が時々来て残務整理をやった。
 ――御承知のような現状で坑夫組合はこの学校で三十人前後教育するために年三四千ポンドを負担するに堪えなくなったのです。昨今の形勢では折角それらの人々を教育してもかえって逆な利益の為に利用されることになってしまうので、残念ながら断然閉鎖に決心しました。
 西日が表戸の真鍮板と売家の広告の上に照っている。真鍮板の「労働大学」という字がキラキラ往来に向って光った。

 日曜日である。店はしまっている。閑静な通りを乗合自動車(オムニバス)が展望を楽しみつつガラスを輝やかせつつ数少なく走っている。
 聖ピータア寺院の石だたみでよごれた鳩の群が餌をひろっていた。子供づれの男女が立って紙の中からパン屑をまいてやっている。日曜以外の日ここの大石段は常に大勢の何時になったらそこをどくのか分らないような連中で占領されていた。或る者は石段にかけ、ひろげた膝に肱をつっかって頭を手の中へ埋め込んでた。すっかり扉の下まで登り切ったところでごろりと長く横になってる者もある。大石段は目的のない人間のいろんな姿態(ポーズ)で一杯に重くされ、丹念に暇にあかして薄い紙と厚い紙とがはなればなれになるまで踏みにじられた煙草の吸口などが落ちていた。ボソボソ水気なしでパンをかじった。鳩が飛んで来てこぼれを探し、無いので後から来た別な鳩の背中にのり大きく翼をバカバカやった。
 今日は日曜で大石段はすっかりからりとしている。聖(セント)ピータア寺院の内部で説教があった。パイプオルガンが時々鳴った。会衆は樫の腰かけから立ったり坐ったりしてアーメンと云った。子供が自分の退屈をまぎらすため、脱いだ帽子を体の前に行儀よく持って立ちながら下を向いて、できるだけ踵を動かさず靴の爪先をそろそろ重ねる芸当を試みている。眼鏡で鼻柱をつまんだ僧侶が説教壇に登った。
 ――宗教とはいかなる禁制をも意味しない。ただ諸君とおよび諸君の光栄ある子孫の一生のための秩序、原則としての宗教あるのみである。
 少年団(ボーイ・スカウト)大会出席のためロンドンへ出て来た大男の団長(スカウトマスタア)が実用的なことは靴とひとしい説教の間にそろりそろりと裸の膝頭でベンチの間を抜け聖壇正面がすっかり見える大柱の下へ立った。
 出口のやっと一人ずつ通れる柵の左右に僧が立って口をあけた喜捨袋を突きつけた。

 ハイド・パアクの騎馬道では艷やかな馬と人とがひるまえの樹の下を動いていた。おさげの少女である。山高帽と黒い乗馬服の長い裾との間に現代英国女性の容貌がはっきりはまっている。数騎の男も混ってだくを打たせたり馬上からかがんで柵越しに散歩道の知人と握手したり自由にかつ調和を保って動いている。日曜の教会礼拝時間後から午餐までハイド・パアクのこの騎馬道とそれに沿う散歩道は上流の社交場である。怪我をするなら上流の人だけがする唯一のところなのだ。騎馬巡査が二人その辺を行ったり来たりしている。――
 一時近くなると騎馬道の上にも人影がまばらになる。柔かい砂が樹の下に遠くかなたまで続いて見通せた。二人の騎馬巡査は二三回その辺をまわると人気ない騎馬道を気持よさそうに鞍の上で尻をおどらせながら駈け去った。もう警固のいる人間なんぞは来ないのである。ハイド・パアクのあっちこっちの門から子供連の夫婦――亭主は乳母車を押し妻は一人の子の手を引いていると云うような世帯じみた一団がぞろぞろ入って来る。警官音楽隊が音楽堂の中で軍楽を奏し始めた。肩の縫目の一寸ずったような絹服を着て非常に陽気な若い女づれ。花壇をいちいち眺めながら歩く指の太い婆さんと息子づれ。――日曜日の午後ハイド・パアクはハイド・パアクの附近に住みながら一週に一遍だけそこを散歩出来る連中――事務員。料理女。いろいろな家庭雇人の洪水である。
 小みちも草原も人だ。人だ。
 自然と人間の割合がこんなに逆になる日曜日彼らの主人達は、ハイド・パアクへなんか姿は現さぬ。週末休(ウィークエンド)に自用車をとばしてどっか田舎のクラブか、別荘か、公園か、とにかく彼の週給額を半径となし得るだけ遠くロンドンから飛び去る。
 赤羅紗服地の見本みたいに念の入った恰好をした英国の兵士達が剣がわりの杖を小脇に挾みながら人通の繁いハイド・パアク・コオナアで横目を使った。そこでは乗合自動車(オムニバス)を降りるとその足で真直「婦人用(レディース)」と札の下った公園の鉄柵中へ行く女は大勢ある。
 半本しか脚のない胴をすえて乞食がせっせとペーヴメントへ色チョークで鼻の脇の真黒な婦人像、風景等を描いていた。「有難う(サンキュー)!」「有難う(サンキュー)!」石の上に書いてある。英国で乞食は声を出して慈悲を強請することは許されぬ。与えられる親切に対して感謝を表すだけが許されるのだ。「有難う(サンキュー)! もし私の仕事が貴君の一ペンスに価するならば!」
 洗いざらしでも子供に着せる日曜着がある者がヴィクトリア公園に出て来て遊んでいた。入ったばかりの樹の下に路傍演説者が何人も札を下げた台を持ち出し、思想陳列をやっている。
    ┌──────┐
    │基督顕示協会│
    └──────┘
    ┌──────┐
    │国際社会主義│
    └──────┘
 諸君! 諸君は大戦によって何を得たか? 利益を得たのは誰であったか? 大体声が足りない。隅っこに引込んで樹の枝の下から肺活量の足りない声が休日の労働者のまばらなかたまりの上に散った。人気があるのは、
    ┌─────┐
    │自由思想家│
    └─────┘
 台をかこんでびっしり帽子のあるのや無いのがきいている。しゃべっている山羊髯は痩て蒼いが底艷のあるようなほっぺたに一種のにやにや笑いを浮べ、ゆっくりしゃべりつつ聴衆を見渡した。――たとえばだね、月夜の晩人のいない公園の小道で青年が一人の若いとてもたまらない女に出っくわしたとすると、どうだね。我々にしろ当然どうもある感覚を感じざるを得ない。(聴衆が笑う)ところでその感覚は肩から羽根を生やしたキューピットの仕業だと云う。本当かね? とんだ嘘八百だ! 青年は「男」で女が可愛い「女」だからじゃないか。生物学の仕業だ。弓の玩具なんぞふり廻してまだ一人前の男にもなってないキューピットの果して知ったことか? 聴衆はパイプを口からとって、地面へ唾をはいて、笑っている。
 離れた草原で女たちが真上から日に照らされながら足を投げ出していた。子供がいれた胡麻粒みたいにその間をはねてる。路傍演説なんぞ聴く女はほとんどなかった。
 池では貸ボートが浮いてる。一人や二人でのっているのはごく少い。五六人ずつで、水の上を動いて低い橋かげをくぐる時なんか歓声をあげている。
 ハイド・パアクの池は広く、遠い河のようだった。みぎわを葦がそよいだ。水禽(みずとり)が人々の慰みのためキラキラ水玉をころがして羽ばたきをしたりくちばしで泥から餌をあさったりしている。
 ヴィクトリア公園で池は狭い。一寸行くとボートは島みたいなものにぶつかったり、橋げたにすいつく。それでも、市(シティー)大会社の腰高椅子や卸問屋の地下室から来たらしい若者達はコンクリートではない水をバチャバチャかきわけ、空気と日光を感じて日曜を笑っている。
 乳母車。これを押す男女。子供。車輪付椅子、並木路は一杯である。或る女は日曜のエナメル靴を穿いたりしているのだが、この行列(パレイド)は見えない何かを一緒に後へ引っぱって、練り歩いている。日曜が年に五十二度あるという暦だけでこの付ものは消えない。日曜だってヴィクトリア公園の子供の顔は逆三角で、二つでも大きい子が小さい方の子の世話をやきやき並木路を練って行く。ここでは子沢山である。山の手(ウエスト)の公園で五人も子を連れた夫婦はなかなか見つからない。この並木路の上では子供がひとりでに分裂してまた子供をこしらえでもするように子が多くて、親は二人で、それが最後かあるいは後三人の最初か分らぬ、最近の子を乳母車にのせて押して行く。
 ダリアばかり咲いた花壇の横で若いものがテニスをやっている。六つばかりの男の子が網にしがみついて見ている。飽きず見ている。二人の子をつれて先へ歩いていた親たちが道を角で立ち止ってこちらを見た。
 ――ジョーン!
 網目へ両手の指三本引かけて鼻をおっつけたまま子供には呼声が聞えもしない。山高をかぶった父親が小戻りして来た。
 ――ジョン!
 ぎゅっと子供の手首を引っぱって網からはがした。彼の背広の襟の折りかえしが糸になっていた。

 午後のテームズ河を小蒸汽がさかのぼりつつあった。小蒸汽はキュー植物園(ガアデン)で一日暮したが帰るに自動車を持たぬロンドン人を甲板に並べた椅子に満載している。白い手袋をはめさせられた女の子が椅子の上で日曜着の膝に落ちた煤煙をふき払った。河上は風がある。ウェストミンスタア橋に近づくと、河の水からやっと這い上ったばかりの猫が一匹コンクリートの河岸のでっぱりの上で盛に上を見ながら鳴き立てていた。河岸まで遠いが猫がずぶ濡れなことや鳴けるだけの力で鳴き立てている事は進行中の小蒸汽の上から分る。甲板にある多くの顔がそっちを見た。一二間わきへよった河岸の欄干に体をもたせて半ズボンの少年がその溺れそこなった猫を見下している。猫のやっとしがみついて居るところから河岸の土までは高くて垂直だった。

 ピカデリー広場でイルミネーションがちらつく時刻である。郊外からロンドン市へ向う街道という街道の上を自動車があらゆる型を並べて疾走した。そして月曜日の夕刊新聞は左の報告と記事とをのせるだろう。週末(ウィークエンド)の自動車事故何件。死傷何人。先週より何%増。
「娯楽(プレジュア)ドライヴは果して窃盗罪を構成せざるや」
 ロンドンで自動車運転許可は郵便局へ五シリング払い込めば貰える。だが運転すべき自動車そのものはハロッズで売っている玩具でも五シリングよりは高い。
 近代倫敦ボーイ(コックニー)のある者は生涯到来することなき自動車購入の時節を空しく待ったりしないで、たとえばこの土曜日の夕方だ。山の手(ウエスト)をぶらぶら歩きしていた十六歳のジョンソンはふと或る門の前に止った一台のオウバアンを認めた。二人乗用(トゥシータース)の新型で、何だか短いスカートから出ている娘の膝っこみたいな車だ。素通り出来ないような型の車を道端に乗りすてたミスター・ウィリアムズの不幸でジョンソンはそのオウバアンに乗っかった。はしった。大いに冒険心と快適な娯楽心とを満足させ夜更けてから元の門近くまで戻って来たところで腕を捕まえられた。が、オウバアン一台を盗む意志はないのだし、事実盗んだのではないし、ジョンソンは既に何十人かの先輩の例にならって一寸娯楽(プレジュア)ドライヴに借りたんです、と肩を上げたり下げたりするだけだ。
 この新型ヴァガボンドはすでに幾多の英国紳士を胆汗過多におとしいれた。明瞭な悪意がないと云うことと、しかも所有権被震撼者が神経消耗をやったあげく時には五日もかかる自動車修繕代を支弁しなければならぬと云うところに娯楽(プレジュア)の現代漫画性がある。

「賃金は低下されなければならぬ」ボールドウィン。
「然り、だが仲裁裁判によって」マクドナルド。
 飢餓審判と戦え!
 賃金値下げに対してストライキせよ!
 少数運動者大会が争闘へ指導する。
 新年から我等の日刊新聞を。それを持たないうち我らは共産党じゃない。
 先ず犠牲を!
 ドイツ労働者は『赤旗(ローテファーネ)』のために何をしたか。
 コヴェント・ガーデンはロンドン野菜市場だ。花野菜、かぶ、きゅうりの山から発散する巨大な青くささに向って一つのガラス窓がひらいている。窓の内に赤い布で飾られたレーニンの写真がある。反帝国主義戦争のパンフレットが並べてある。粗末な古い木の床の左右は本棚である。トルストイ、トゥルゲニェフ、チェホフ、ゴーリキー、リベディンスキー、グラトコフ。それらの英訳が各国の翻訳論文集や、ミル、アダム・スミスとともに立ててある。ここは本屋でもある。正面の勘定台に男が二人、一人は立ったまま何か読んでいる。黒い細いリボンを白シャツの胸にたらした女が大きな紙の上で計算している。勘定台の後横から狭い木はしごの一部が見えた。そっちは、だがまるで暗い。外からの光線で、見えるのは数段のはしごと横のきたない壁面だけだ。鳥打をかぶった青年がドドドドとかけ下りて来て、勘定台から切抜帳みたいなものをとりまた昇って行った。
 店の内部に居るのは六七人である。互に背を向け合って静に本を探している。小さい男の子の手を引いて体格のいい四十がらみの労働者が入って来た。彼は週刊新聞、『労働者生活』を三ヵ月分予約した。
 その労働者が立ってる定期刊行物見本テーブルは幾分土曜日夕方のハイド・パアクにおける言論市場をほうふつさせた。労働組合(トレード・ユニオン)の機関紙、炭坑組合新聞などが党の刊行物とともに売られている。

 トラファルガア広場のトーマス・クック本店横から二台の大型遊覧自動車が午後七時の薄暮をついて動き出した。
 トーマス・クック会社名前入りの制帽をかぶった肥っちょの案内人が坐席から立ち上って「ここがオックスフォード通。只今通りすぎつつあるのはロンドンの最もしゃれたレストランの一つ、フラスカテイであります。フラスカテイー!」叫んでいる時にロンドンが夜になった。
 遊覧自動車はそれから東へ東へととって肉市場スミス市場のアーク燈に照らされた白い鉄骨アーケードの下を徐行した。古代ロンドンの城門の一つをくぐった。
 一本の街路樹もない、暗い狭い街が現れた。ガス燈が陰気にひのけない低い窓々を照し出しているきたない歩道を、そこの壁と同じような色のなりをした人間がぞろぞろ歩いている。闇をつんざいて時々ぱっと明るい通があった。戸のない階段口が煙出し穴みたいに壁へ開いている。
    ┌────────────┐
    │寝床。六片(ペンス)。      │
    └────────────┘
 木賃宿である。
 案内人は立ち上らず坐席から首だけのばして大きくない声で説明した。――ここいらが皆有名な東端(イーストエンド)の一階家(ワンストーリィドゥエリング)です。
 再び暗い街。暗い街。暗い建物のさけ目から一層黒い夜が鋭い刃のように見える横丁の前をトーマス・クックの東端(イーストエンド)遊覧自動車は体をほっそり引押すようにしてすべり過ぎた。
 市営労働者住宅は七階だ。が空間利用法によって七階までの鉄ばしごは道路に面した空中へまる出しだ。レインコートを着た男が一人三階目の露台を通って四階目へ登りつつある。彼の姿はどこかの扉へ入ってしまわぬ限りてっぺんへ登り切るまで下の往来から小さく鉄ばしごの上に見えた。
「民衆宮(ピープルス・パレス)」で彼らは蓋したベッシュタインのグランド・ピアノを見るだろう。英国史上あらゆる女皇の不器量な大理石像を見るだろう。止った遊覧自動車のまわりは顔面と声だけ夜から見分けのつく大小の子供達で鈴なりである。
 ――ペニーおくれよ、小父さん!
 ――お金! お金おくれ!
 外套の前をきっちり合わせ肩をいからすようにして子供たちをかき分けながら男達は急いで腕を支えつれの女を先に自動車へつれ込んだ。運転手が巻煙草を子供連に分けてやっている。
 ポプラア通りだ。電気仕掛の大十字架だ。ペニーフィールドの支那町(チャイナタウン)は夜九時のロンドン・ドックを通り抜けると同じ速力で。
 テームズ河底のトンネルは白タイル張で煌々たる電燈に照し出された。大型遊覧自動車のエンジンの音響はトンネルじゅうの空気をゆすぶった。塵埃を捲き上げて穹窿形の天井から下ってる大電燈の光を黄色くした。鳥打帽の若い労働者が女の腕をとって、その長いトンネル内を歩いている。男も黒いなりだ。女も若いが黒いなりだ。全光景はマズレールに彫らせ度い大都会の強烈版画的美しさである。
 説明しないいろいろな動機から、東端(イーストエンド)を廻って来た、どこの誰だか判らぬ人々が三時間目に再びトラファルガア広場で散らばった時、ロンドン市の上へ月がのぼった。
 ロンドン市は片眼をつぶり、片眼を開けて数百年、夜じゅう起きていた。月は片眼のロンドンでデイリー・メイル社の電気広告の真上を歩いている。
 十一時、ピカデリー広場やチャーリング・クロス附近から一斉に英国国歌の吹奏が起った。
 ――神よ・我等の光栄ある王を護れ(ゴッド セーフ アワ グローリアス キング)。――タクシーが熱してはしり出した。どこへの宣戦布告だ?――芝居がはねたのだ。舞台衣裳に働かす活溌な想像力はパイプのやにの中にさえ待ち合わさぬロンドンの一流から四流までの劇場で、幕が下り、また幕が上り、舞台から夜会服の男女俳優が同じように夜会服の男女観客に向ってうわ目を使いつつ腰を曲げ、喨々(りょうりょう)たる国歌が吹奏されたのである。
 ライオン喫茶部では大理石切嵌模様の壁がやけにぶつかる大太鼓やヴァイオリンの金切声をゆがめ皺くちゃにして酸素欠乏の大群集の頭上へばらまきつつあった。昨夜ここでマカロニを食べた二人連の春婦が同じ赤い着物と同じ連れで今夜はじゃがいもの揚げたのをナイフでしゃくって食べていた。食べながら遠いところのどっかへ向って腰をひねり、嬌笑した。失うべきものを持たぬロンドン人が月の下の街やのれんの奥にいた。
 ホワイト・チャペル通でドイツ賠償問題に関する共産党の路傍演説が終った。「ミスター・フィリップ・スノウデンは勝った。然し英国とドイツの労働者は敗北したんだ。」月はこういう言葉を聴きいよいよ片眼のロンドン市の上へ高くのぼって、トラファルガア広場の立ち上ったところはまだ人間によって見られたことのない四頭の獅子とドーヴァ海峡の海のおもてを照らした。
〔一九三〇年六月〕

※インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)より引用
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